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深く、濃く、味わい豊かに読書を楽しむ。小説家・平野啓一郎が作品や著者のあふれる魅力をナビゲート。『舞姫』『阿部一族』の内容を語ってきたvol.1.2を受けて、森鴎外についての視聴者からの質問に、平野啓一郎が答えます。また後半では、自身の執筆スタイルや読書メモの方法を公開。
目次
平野啓一郎(以下、平野):鴎外の作品には『青年』や『灰燼』など、未完の少し長めのもの、また晩年の『史伝』などの長篇もありますが、基本的には短編作家と認識してよいと思います。ひとつには文体が理由としてあります。鴎外の文体はとても簡潔なので、三島由紀夫は「もう少し雑多なものを含み込むような文体でないと長編にならないのでは」というような論評をしていました。これは一理あると思います。また、作家の気質的なものもあり、漱石より鴎外の影響が強い芥川も、どうしても長編は書けませんでした。『舞姫』また『阿部一族』もそうですが、ある出来事がどういう経緯でそうなったのか、事情や説明を聞いてあげているという書き方になっています。その物語の内容や展開も、短編のサイズ感になった要因だとも思います。事情を聞くのに原稿用紙500枚とはならないですよね。
さらに、鴎外は医者であり科学者、そして衛生学者でもあるので、自分の書きたい主題を、科学的に、実験と検証のように厳密に条件付けをして、文章を進めている印象があります。例えば 『高瀬舟』において、安楽死の問題は全体として大きな問いなんですが、こういう条件を踏まえてお話を作れば、結果としてこういうことを証明できるというような作品の作りになっています。一作品ごとに個別の条件で実験をし、検証して結果を出している、そのスタイルが短編という形になっている理由ではないかと思います。
───同じ小説家として、平野さんの長編・短編の書き分けのポイントはありますか?
平野:主題そのものが持つポテンシャルというのがあると思います。音楽に例えると、交響曲になるようなものと、1分ほどのピアノ曲になるものがあるように、長編になるものか、短編になるものかを主題によって書き分けています。第4期は『透明の迷宮』という短編を書いたことで、それが端緒やキーワードになり、アイディアが膨らんで、長編の萌芽となりました。次のシリーズも、まずは少し短編を書いて長篇の準備をしようと思っています。
平野:まず、「人間性」とは何かを考えると、時代のイデオロギーに感化された個人的な属性というよりも、ヒューマニティというか、人間一般の自然にあるべき姿、状態という意味ですよね。人間の自然にあるべき姿みたいなことを、僕たちは共有しているのだと思います。そういうことをするのは、人としてどうなのか、というときに使う「人として」というような考えが「人間性」の念頭にありま す。
鴎外は『大塩平八郎』の中で、裏切って密告した人物を書いています。鴎外はその人物を「人間らしく」自殺したと書いていて、僕には強い印象が残っています。「人間らしく」という言葉が出てくるのは、僕の知る限りそこだけなんです。鴎外の中では人間の中のあるべき姿というのが、一種の常識としてあったのだと思います。その常識に抵触しているような、不自然に見える人間の姿に対峙する自然な人間の姿が、鴎外の中では観念としてあったと思います。
『最後の一句』では、忠孝というイデオロギーと子供が一体化して、父を助けるためなら死んでもいいですときっぱりと言い切りますが、本来子供は、死ぬのが怖くてそんなことは言いたくないはずだ、という一種の常識的な人間像がありますよね。それに反したことを、イデオロギーによって進んで言いきってしまうことに対して、鴎外は疑いの目を向けていると思います。
僕たちがファシズムを批判するときには、ファシズムに巻き込まれた人間が、人間性を失っている、あるいは非人間的に扱われているという感覚を持ってるからこそ、否定するわけですよね。「人間性」という概念は、僕たちの判断の中でも、結構強く生きてる気がします。
鴎外は『かのように』という作品を書いています。鴎外が「人間らしく」とか「人間性」というときには、そういうものがある“かのように”振る舞うことが社会を支えているという発想を持ち、示唆していると思います。
ただ、逆に「それが、あの人の人間性だよ」というふうに、「人間性」が「個性」のような意味で使われることもあります。これは文脈によって変わるものです。
平野:僕は「分人主義」という考え方に基づいて小説を書いていますが、鴎外もまさに「分人化」していた人ですね。「分人主義」とは、一人の人間がどこにいても一つの個性しかないのではなく、対人関係ごと、環境ごとにいろいろな自分になっていく。その方が自然であるという考え方です。鴎外も、その分人それぞれの経験が呼応しながら作品を書いていたと思います。『妄想』という作品は、鴎外のアイデンティティ について振り返り、死生観を見据えた思索的な短編となっています。その作品において、美学を論じるためにフォイトの論文を引用したところ、当時、鴎外は「フォイト派」と目されてしまいました。単にその論文が優れてるから引用しただけで、別の話を論じるときには別の論文に依拠して話を展開するという、今でいえば当たり前みたいな話ですが、当時はひとつの説を唱える人はそのひとつの説の信奉者と捉えられました。
鴎外は科学者でもあったから、全くそんな話ではないと書いていますし、尊敬する人たちもいたが、終生ひとりの師について行こうとは思わなかったとも書いてあり、学者としては非常に正しい態度だと思います。しかし当時は、鴎外は何を考えているかわからない人と捉えられ、彼自身は、なぜたったひとつの人格みたいなものをみんなが探り当てようとするのか、不思議だったと思います。
また、鴎外は反自己責任論なんです。社会構造の中で、そのときの条件や偶然を伴いつつ、人間がどう生きていくのかということを、生涯描き続けていました。そこに何か本質主義的な個人の個性を求めるのは間違いではないのか、というのが鴎外の考えです。“たまたま田園があったら田を耕す”(『なかじきり』より)ということが人間ではないかというのが、まさに鴎外の人間観を表現した言葉だと思います。『史伝』でも、ひとりの人間の個性や内面描写をするわけではなく、その人は誰の息子でどこで育てられたかという、社会状況を静かに書いていきます。『山椒大夫』では、人買いの山椒大夫を人格的に悪人だから成敗するという話にせず、制度の変遷に沿ってその通り生きたことを書いた。それが鴎外という人なのだと思います。
僕はこのような鴎外の考えに共感するんです。僕という人間もいろんな偶然の中で今こういうふうに生きている。たまたま運が良くて、『日蝕』という作品で小説家としてデビューして今に至っていますけれど、送った原稿が評価されず、小説家になりたいなと思いながら、まだ京都でいろんな仕事を転々としていた可能性も大いにあると思います。本当に何か人生の些細なことによって、運命は変わっていくという気がします。
STAFF
Photo: Manabu Mizuta
Movie: Cork
Text: Junko Tamura
Editor: Yukiko Nagase,Kyoko Seko
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