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あらゆる近代詩の源流として、のちに時代に多大な影響を及ぼしているボードレールの詩集『悪の華』。10代に出合って以来、大きな影響を受けたという平野啓一郎が、作品と作者の人生について語ります。
~あらすじ~
1857年に単行本として刊行されたが、風紀公安を害するものとされ一部削除を命じられ、1861年に新たな作品が加わり再販された、ボードレールの代表作。人間や社会の退廃的で半道徳的な性質──「悪」を見据え、えぐるように語りながら、心情、美、芸術、近代都市生活など多彩な事象を浮き彫りにしている。
平野:僕がフランスの象徴派の詩を読もうと思ったのは中学生のときで、まずはランボーの『地獄の季節』を読みました。難解ではあるけれど、言葉遣いに痺れて、「カッコいい」と思いました。そして、その源流にボードレールがいることを知り、鈴木信慎太郎訳の『悪の華』を読みました。イマジネーション豊かで 、10代の自分の心に響くものがあり、すごく好きになりました。
彼には熱烈に信奉していた3人の芸術家がいました。文学者のエドガー・アラン・ポー、音楽家のワーグナー、そして画家のドラクロワでした。当時この3人は、ある意味、キワモノ扱いで、オーソドックスな文壇、画壇や楽壇などでは受け入れられない3人を、ボードレールは批評を通じて熱烈に擁護しました。
僕は『葬送』という、ショパンとドラクロアの物語を書きましたが、それを書くにあたって読んだのが、ボードレールによるドラクロワ論でした。またそれに派生して、彼の美術批評と文学批評も読んだのですが、批評でありながら非常に名文で、文明論などの哲学的思考にも深みがありました。ボードレール全集をぼろぼろになるまで読み、大きな影響を受けました。
平野:『悪の華』はフランス文学の傑作中の傑作として、後の時代まで多大な影響を及ぼした作品で、研究者たちは微に入り細を穿つ研究をしています。ボードレールがどのような人物だったのかわかると、その作品世界がぐっと身近になってきますので、彼の人生に沿った話をまずしようと思います。
ボードレールを知る上で、おすすめしたいのは、アンリ・トロワイヤが書いた伝記です。ボードレールは、ナポレオンが死去した1821年に生まれ、6歳の時にかわいがってくれた父親が亡くなり、母と再婚相手の義父と暮らすようになります。父母の愛情に飢えて、義父に対してエディプス・コンプレックスを抱きつつ青年期を過ごします。
母親の愛情を勝ち取るために学校では抜群の成績を収めますが、それでも母親は構ってくれず、詩作をして文学に没頭するようになります。その後、学校で友人を庇って教師とトラブルを起こし、謝罪の手紙を書くも虚しく、退学になります。散財をして、両親に見放されて、二十歳のときには、義父によってインドのカルカッタ行きの船に乗せられました。それに従い船旅をするのですが、嫌になり、アフリカの希望峰で彼は帰ってしまいました。
ボードレールの女性観は複雑でした。母親に愛されなかったという思いを40歳近くまで持ち、母性愛を求め、女優のジャンヌとは男女の愛憎を繰り広げ、ジャンヌと別れてからはサバティエ夫人を崇めるように愛しますが、理想化しすぎたために、関係が深まると幻滅してしまいます。
34歳のときにドラクロワ賛美の美術評論を書き、詩篇十八を発表して、初めて詩人と認められました。36歳で『悪の華』を出版し、そのうち6編が公序良俗に反するとして出版停止、罰金刑を受けますが、ユーゴーやフローベールからは賞賛の手紙を受け取り、文名が高まります。ボードレールは、残された手紙にも見られるように、人の心に訴えかける圧倒的な言葉を持っています。
彼は非常に才能のある人でしたが、社会不適応人間として、生活には苦労しました。と天才の孤独感と周囲との軋轢や理解されない苦しみ、自傷的な詩もあり、彼の人生に起きたことと、彼の人物像を知ると、詩の理解がより深まると思います。
平野:例えば、『信天翁』(アホウドリ)という詩がありますが、これはボードレールが義父にカルカッタに向かわされて、船に乗っていたときに目にした光景をもとに書いたと言われています。アホウドリは空を飛んでいるときは大空の王者なのに、船上で船乗りたちの慰みに生捕りにされると、大きな翼を両脇に哀れにも引きずっていることをうたっています。ボードレールはその姿を、詩才に溢れ学業はとても優れている自分が、学校では先生に嫌われ、現実世界では惨めな生活を送っていることと重ねていたのではないでしょうか。ほかにも母親との関係や付き合った女性たちのことを知っていると、内容が理解しやすいものが多いと思います。
いた詩集という形式が、当時はとても新鮮なものでした。ボードレールによって、詩として扱う対象が非常に拡張したんです。ボードレールの詩の表現は感受性豊かで、官能性もあり甘美なものです。前世を思い描くような光景から、感覚的な陶酔を表現する詩、哲学的な表現の詩、象徴派からシュールレアリスムに至るような言葉の組み合わせの妙もありますし、一方で現代的な感覚で、都市生活で起こってる、何気ない日常を鋭く、非常に美しい言葉に置き換えていった詩もありました。
詩の守備範囲というか、バリエーションというものが広がり、ボードレールの詩から、こんなこともできるのだという可能性を感じて、インスパイアされた後続の詩人たちがたくさんいたのです。ボードレールの後に出現した詩人で影響を受けてない人はいない、と言っても過言ではないでしょう。
また、僕が三島由紀夫やボードレールなどが好きだったのは、価値のないものだと思われていることを、美しい言葉で語ることによって、価値化することができるからだと思います。ボードレールの人生は、一見さみしくて、惨めとも言えるかもしれません。しかし、うたわれた言葉は、非常に美しい。ボードレールは、「役に立つ人間というのは、自分には醜く醜悪に思われた。」という言葉を残していますが、社会不適応な人間にとってボードレールは、何というか、「憧れ」ですね。
平野:『悪の華』はもちろんですが、僕は、批評家としてのボードレールにも大きな影響を受けました。ボードレールは、この世界の「多様性」を非常に重視しています。「生命力の移動」という概念を提示していて、僕はそれに影響されて『生命力の行方』というエッセイを書きました。その冒頭とあとがきにボードレールの世界認識について書きましたが、ボードレールの多様性の認識は、とくに興味深いものです。
美術批評は、どうしでも教条主義的になって、特に新古典派は、「このように見るべきだ」という固定観念が強かったので、まったく新しい作品が出てきたときに対応できないという問題が出てきます。新しい絵画が出てきたときに、過去の作品の蓄積の上にしか成り立っていない教条主義的な批評では解釈できない、とボードレールは言及しています。
美の多様性に対応するためには、教科書的なことに基づいて美をジャッジするのではなく、「ナイーブに感じること」が大事だとボードレールは強調しています。心や感覚的に感じるものを肯定すること。これによって芸術は民主化されていき、モダニズムの可能性を開いたと思います。
この続きは、 平野啓一郎さんと「文学の森」でもっと語り合ってみませんか?
「平野啓一郎の文学の森」は、平野啓一郎をナビゲーターとして、古今東西の世界文学の森を読み歩く文学サークルです。3か月毎に定めたテーマ作を、月に一度のライブ配信で読み解く、小説家による小説解説!
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次回は、ヴァージニア・ウルフ著『灯台へ』を読みます。
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1975年愛知県・蒲郡市生まれ。北九州市出身。京都大学法学部卒。1999年在学中に文芸誌「新潮」に投稿した『日蝕』により第120回芥川賞を受賞。40万部のベストセラーとなる。以後、一作ごとに変化する多彩なスタイルで、数々の作品を発表し、各国で翻訳紹介されている。2004年には、文化庁の「文化交流使」として一年間、パリに滞在。著書に、小説『葬送』『決壊』『ドーン』『空白を満たしなさい』『透明な迷宮』『マチネの終わりに』『ある男』など、エッセイ・対談集に『私とは何か「個人」から「分人」へ』『「生命力」の行方~変わりゆく世界と分人主義』『考える葦』『「カッコいい」とは何か』など。2019年に映画化された『マチネの終わりに』は、現在、累計60万部超のロングセラーに。『空白を満たしなさい』が原作の連続ドラマが2022年6月よりNHKにて放送。『ある男』を原作とする映画が2022年秋に公開、と映像化が続く。作品は国外でも高く評価され、長編英訳一作目となった『ある男』英訳『A MAN』に続き、『マチネの終わりに』英訳『At the End of the Matinee』も2021年4月刊行。「自由死」が合法化された近未来の日本を舞台に、最新技術を使い、生前そっくりの母を再生させた息子が「自由死」を望んだ母の<本心>を探ろうとする最新長篇『本心』は2021年に単行本刊行。ミステリー的な手法を使いながらも、「死の自己決定」「貧困」「社会の分断」といった、現代人がこれから直面する課題を浮き彫りにし、愛と幸福の真実を問いかける平野文学の到達点。2023年、構想20年の『三島由紀夫論』を遂に刊行。『仮面の告白』『金閣寺』『英霊の声』『豊饒の海』の4作品を精読し、文学者としての作品と天皇主義者としての行動を一元的に論じた。三島の思想と行動の謎を解く、令和の決定版三島論。
STAFF
Photo: Manabu Mizuta
Movie: Cork
Text: Jun Mizukami
Editor: Yukiko Nagase,Kyoko Seko
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