
タブロイドマガジンAdvancedTimeをお手元に
今回は、ヴァージニア・ウルフによる小説『灯台へ』を平野啓一郎が解説。「意識の流れ」をそのまま活かす手法で知られるこの名作は、昨年、鴻巣友季子氏による翻訳で新たに文庫化され話題になりました。独特な文体と相まって、解釈に迷うところも少なくない作品ですが、シンメトリーになった三部構成に大きなヒントがあるようです。
~あらすじ~
スコットランド沖スカイ島にある哲学者ラムジー家の別荘には、夫婦と子供たちと客人が過ごしていた。末息子ジェームズは灯台に行くことを楽しみしているが、父は天候を理由に否定的な態度をとる。時は過ぎ、第一次大戦が起こる中、一家は母と二人の子供失う。10年後、荒れ果てた別荘に再びジェームズと父、客人たちは訪れ、灯台に行くことになる。
『灯台へ』という作品は、非常に斬新な作品です。語り手を判然とさせず内面を描写していく「意識の流れ」という手法が注目されがちですが、それ以上に注目すべきは、僕は構成の面白さだと思います。
第一部では、ラムジー一家の日常的な出来事がずっと書かれています。身の周りの人間との関係や情報の濃度が、非常に濃いですよね。もしこの小説が現代を舞台にしていたら、登場人物たちはみんなスマホを見て、その場の出来事に関心を払わないでしょう。同じ空間にいる人、起きている出来事と強く結びついた内面描写というのは、この時代ならではですよね。
第一部は日常的な描写がいつまでも続いて、退屈に感じる方もいるかもしれません。しかし第二部に入って突然時間が大きく飛び、戦争による喪失や家の荒廃が描かれる。そこで第一部の描写が必要だったことがよく分かります。戦争や喪失の時間を挟むことで、そこに人が集まって生きている間に交わした思いや、何気ない食卓の場面が際立ちます。震災前の街並みの写真を後から見ると、そこにあったものが存在感を持って、失われてしまったということを非常に強く感じるように、第二部の存在があってこそ、この小説の凄みが出てきます。
そして最後の第三部では、残されたものたちが再び集まり、灯台へ向かうクライマックスが描かれます。第一部では灯台へ行くことに否定的だった父親のラムジーが、第三部では灯台へ向かう船の先頭にいるというのも対照的で、第二部を挟んで左右対称のような構成になっている。いわゆる起承転結のような明確な物語構造ではない、この斬新な構成によって、作品が持つ感情的なインパクトが際立っていると思います。
この作品は、ラストシーンも非常に印象的で、謎めていますよね。リリー・ブリスコウという女性画家がカンヴァスを前にして、葛藤の末にある「ヴィジョン」を掴む場面です。
「そのとき不意に、一瞬そこになにかをはっきりと見てとったかのような力強い筆さばきで、リリーは一本のラインを絵の中央にひいた。さあ、これでできた。ようやく終わった。疲れきって絵筆を置きながら思う。ええ、わたしは自分のヴィジョンをつかんだわ。」
新潮文庫/鴻巣友季子・訳
この「一本のライン」が象徴するのは何か。読者によって解釈はさまざまですが、僕はこれが物語全体の構成と深く関係しているのではないかと思っています。先ほど話したように、この作品は第一部と第三部が左右対称をなし、第二部を軸にして全体が二分されるような構成になっています。ウルフはこのラストシーンを通じて、自分がこの小説の構成を思いついたということを、登場人物に仮託して言わせているのではないでしょうか。
ウルフ自身が、この小説の構成をどう作り上げたのか、その思考の過程がリリーを通して語られているようにも思えます。
「ふだん物事をひとつに結びつけている絆が切られ、あちこちに漂いゆき、どこかへ流れ去ってしまい、と、そんな感じになるのだ。なんともあてどなく、混沌として、現実味を欠いている。リリーは空になったコーヒーカップを見つめてそんなことを思った。」
新潮文庫/鴻巣友季子・訳
この作品が書かれた背景には、第一次世界大戦の影響が非常に強くあると思います。ヨーロッパの人たちにとって、第一次世界大戦というのは本当に強烈な出来事で、ある種の離人症というか、目の前のものが現実感を失ってしまうというのは、20世紀前半を生きた非常に多くの作家が書いている経験なんです。ウルフ自身も、この戦争によって世界の見え方が大きく変わってしまったことを肌で感じとっていたと思います。
リリー・ブリスコウという登場人物は、この世界が相対的に移ろいゆくなかで、芸術というのは何かを留めうるという意識を非常に強く持っていますよね。今は、失われていくものをどうやって保存するかといったとき、写真やビデオ、3Dデータなどがありますが、19世紀の半ばぐらいまでは写真もなかったですから、失われていくものに対して、絵画や文学などの芸術の永遠性というものが非常に期待されていたと思うんです。アーティストたちもそういう自負が強かった。そうした情熱を持つ中で起きた第一次世界大戦の衝撃は、世界の虚無性を感じつつ、最終的には何か一つの作品を完成させていくという物語の構成に影響を与えているのではないでしょうか。
この続きは、 平野啓一郎さんと「文学の森」でもっと語り合ってみませんか?
「平野啓一郎の文学の森」は、平野啓一郎をナビゲーターとして、古今東西の世界文学の森を読み歩く文学サークルです。3か月毎に定めたテーマ作を、月に一度のライブ配信で読み解く、小説家による小説解説!
ご参加後は過去のアーカイヴも視聴可能です 。
次回は、プラトン著『饗宴』を読みます。
文学を考える・深める文学を考える・深める機会をつくりたい方、ぜひこちらをチェックしてください。
1975年愛知県・蒲郡市生まれ。北九州市出身。京都大学法学部卒。1999年在学中に文芸誌「新潮」に投稿した『日蝕』により第120回芥川賞を受賞。40万部のベストセラーとなる。以後、一作ごとに変化する多彩なスタイルで、数々の作品を発表し、各国で翻訳紹介されている。2004年には、文化庁の「文化交流使」として一年間、パリに滞在。著書に、小説『葬送』『決壊』『ドーン』『空白を満たしなさい』『透明な迷宮』『マチネの終わりに』『ある男』など、エッセイ・対談集に『私とは何か「個人」から「分人」へ』『「生命力」の行方~変わりゆく世界と分人主義』『考える葦』『「カッコいい」とは何か』など。2019年に映画化された『マチネの終わりに』は、現在、累計60万部超のロングセラーに。『空白を満たしなさい』が原作の連続ドラマが2022年6月よりNHKにて放送。『ある男』を原作とする映画が2022年秋に公開、と映像化が続く。作品は国外でも高く評価され、長編英訳一作目となった『ある男』英訳『A MAN』に続き、『マチネの終わりに』英訳『At the End of the Matinee』も2021年4月刊行。「自由死」が合法化された近未来の日本を舞台に、最新技術を使い、生前そっくりの母を再生させた息子が「自由死」を望んだ母の<本心>を探ろうとする最新長篇『本心』は2021年に単行本刊行。ミステリー的な手法を使いながらも、「死の自己決定」「貧困」「社会の分断」といった、現代人がこれから直面する課題を浮き彫りにし、愛と幸福の真実を問いかける平野文学の到達点。2023年、構想20年の『三島由紀夫論』を遂に刊行。『仮面の告白』『金閣寺』『英霊の声』『豊饒の海』の4作品を精読し、文学者としての作品と天皇主義者としての行動を一元的に論じた。三島の思想と行動の謎を解く、令和の決定版三島論。
STAFF
Photo: Manabu Mizuta
Movie: Cork
Editor: Yukiko Nagase,Kyoko Seko
TAGS
『AdvancedTime』は、自由でしなやかに生きるハイエンドな大人達におくる、スペシャルイシュー満載のメディア。
高感度なファッション、カルチャーに溺愛、未知の幅広い教養を求め、今までの人生で積んだ経験、知見を余裕をもって楽しみながら、進化するソーシャルに寄り添いたい。
何かに縛られていた時間から解き放たれつつある世代のライフスタイルを豊かに彩る『AdvancedTime』が発信する情報をさらに充実し、より速やかに、活用できる「AdvancedClub」会員組織を設けました。
「AdvancedClub」会員に登録すると、プレゼント応募情報の一覧、プレミアムな会員限定イベント、ブランドのエクスクルーシブアイテムの紹介など、特別なコンテンツ情報をメールマガジンでお届け致します。更に『AdvancedTime』のタブロイドマガジンのご案内もあり、送付手数料のみをご負担いただくことでお手元で『AdvancedTime』をお楽しみいただけます。
登録は無料です。
一緒に『AdvancedTime』を楽しみましょう!
vol.026
vol.025
vol.024
vol.023
Special Issue.AdvancedTime×ROLEX
vol.022
Special Issue.AdvancedTime×ROLEX
vol.021
Special Issue.AdvancedTime×ROLEX
vol.020
Special Issue.AdvancedTime×ROLEX
vol.019
Special Issue.AdvancedTime×ROLEX
vol.018
vol.017
vol.016
vol.015
vol.014
vol.013
Special Issue.AdvancedTime×HARRY WINSTON
vol.012
vol.011
vol.010
Special Issue.AdvancedTime×GRAFF
vol.009
vol.008
vol.007
vol.006
vol.005
vol.004
vol.003
vol.002
Special Issue.01
vol.001
vol.000
『名探偵コナン』長野県警・大和敢助&諸伏高明! 物語の要、バイプレイヤーたちの男の流儀
世界が注目する新潟亀田蒸溜所から、初のジャパニーズウイスキー『OHTANI WHISKY 新潟亀田 zodiac sign series「Pisces」』がリリース!
天才の孤独感と周囲との軋轢。『悪の華』はボードレールの生涯を知ることで、その世界がグッと身近に
華やかさを究めて…スコットランドの豊かな自然に育まれた至高のシングルモルトがついに誕生
余計なのもを削ぎ落として、シンプルに、自然体で生きるって、いいなぁとしみじみ思います