令和の光悦村 食と工芸の町・富山・岩瀬を旅する

旬なる美食の郷、富山市・岩瀬の口福と眼福Vol.1

富山・岩瀬町という街を知っているだろうか。15年ほど前までは、旅人が訪ねてくることはほとんどない静かな場所だった。それが今、食通が年に何度も足繁く通う場所に変貌。皆が目指すのは、古い家が並ぶ500mほどの静かな通り。ここに世界のトップシェフも訪れるという予約困難店、入荷待ちが続く器の工房などが点在しているのだ。この町を作ったのは一人の男。その美意識が満ちている町へ旅に出た。

LIFESTYLE May 23,2024
令和の光悦村 食と工芸の町・富山・岩瀬を旅する

富山県・岩瀬町。そう聞いて、ピンと来る人はかなりの食通だろう。

岩瀬は、富山市内の中心部から北へ5kmほどの場所にある海辺の小さな町。ここは今、知る人ぞ知る美食のデスティネーションだ。町をつらぬく500mの短い通りに、ミシュランガイドの星がつく日本料理や寿司屋、蕎麦屋、イタリア料理店、フランス料理店がずらり。そのほかに、チェコ人が醸すビール醸造所や圧倒的な品揃えを誇る酒屋、洗練されたギャラリーなども軒をつらねる。

美しい街並みに、美酒美食、さらに工芸にも触れられるとあり、ここ数年訪れた目利きたちの口コミから一気に人気になった。

岩瀬町へは富山駅から路面電車にゆられ20分ほどで到着する。東岩瀬駅で降りると、そこは富山駅周辺とはまるで違うのどかな雰囲気。ほのかに漂う潮の香りに誘われて岩瀬大町・新川通りへ向かうと、杉玉がかけられた端正な古民家が見える。

「桝田酒造」の画像
北海道で創業し1905年に現在地・東岩瀬に移転した「桝田酒造」。「満寿泉」は富山を代表する銘酒。そのほか、シーバスリーガルの樽で熟成し、ブレンドした革新的な日本酒「リンク8」など新しい日本酒造りも積極的に行っている。

ここは、富山の銘酒「満寿泉」で知られる明治26年創業の「桝田酒造」だ。目の前の大町通りを北に歩くと、通りの両側には出格子や板塀が美しい昔ながらの古民家が並ぶ。ふと見上げれば、電線のない大きな空が広がり、江戸時代にタイムスリップしたかのよう。

岩瀬は、江戸から明治時代に北前船の寄港地として栄えた場所だった。今でも往時の廻船問屋が残っている。そんな昔からの建物を保存しながら、工芸家が暮らし、洗練された飲食店が集まる場所として現代に甦らせたのが「桝田酒造」5代目当主・桝田隆一郎さんだ。

バーの画像
オールドボトルだけのIWハーパー BAR

桝田さんに、育った町の再生に取り組もうとしたきっかけを聞くと「特に覚えていないんですよ」とさらり。ただ、小学生の頃、京都の光悦村の話に感銘を受けたことが根底にあるのかな、と話す。

本阿弥光悦が町衆の文化人や職人、芸術家たちを集めて文化を作っていったように、岩瀬の町をそんな場所にできたら……。幼いころの漠然とした思いは、頭のなかにいつもあった。それがより強い思いに変わったのは留学先のヨーロッパから帰国したときのこと。自分の町を“つまらない”と思ってしまい、“ここを変えたい”という気持ちがますます大きくなっていったという。

そんな桝田さんの町づくりの最初の一歩は31歳の時にやってきた。

別の場所で営業をしていた旧知の蕎麦屋の主人が、「建物がボロくなってきたから移転したいんだけどね、どこかいいところないだろうか」と相談してきたことが始まりだった。そこで大町通りの売りに出ていた木材屋だった場所を買取り、改修して蕎麦屋「丹生庵」(今は閉店)の開業にこぎつけた。

それをきっかけに、岩瀬を“食とクラフトの町”にしたいと具体的に行動を起こす。2004年に「岩瀬まちづくり株式会社」を設立し、取り壊されそうになっている古民家を少しずつ買取り、丁寧に改装し、新しい息吹を吹き込んでいったのだ。

最初に手掛けたのは、取り壊し直前だった、国指定重要文化財の廻船問屋・森家敷地内の土蔵。改修し、岩瀬で愛されていた「酒商 田尻本店」に声をかけ移転してもらい酒屋にした。その土蔵に続く建物には「カーヴ・ユノキ」というフランス料理店も作った。

ギャラリー「Taizo Glass Gallery」の画像
安田泰三さんのギャラリー「Taizo Glass Gallery」。ヴェネチア・ムラーノ島の伝統技法を独自に昇華させ作り出すガラスの紋様は、レースのようで美しい。

さらに、桝田さんは“この人”と思う富山出身の工芸家たちに声をかけ、岩瀬に来ないかと誘った。桝田さんの思いに賛同し、ガラス作家の安田泰三さん、陶芸家の釋永岳さん、木彫家・岩崎努さん、漆芸家の橋本千毅さんらが移住。桝田さんが改装した古民家を住居兼工房、ギャラリーにして創作活動を始めた。

いずれも全国から注文が絶えず、納品には数年待ちの人気工芸家である。

通りを歩きながらそんな彼らのギャラリーを一つ一つ訪ねて、作品を実際に手に取ったり見たりして購入できるのは、岩瀬を旅する醍醐味。運が良ければ、作品を作っている本人に会って話をすることもできる。

工藝ブランド「GAKU ceramics」の画像
陶芸家・釋永岳さんの工藝ブランド「GAKU ceramics」。一つ一つの器の、自由な発想から生まれる質感、美しいフォルムに魅了される。“器から料理が生まれる”と、国内外のシェフたちにも人気。

一方“食”の魅力が色濃くなってきたのは、2019年ごろから。

大町通りの一番北側、ひときわ立派な廻船問屋をリノベーションした建物に「ふじ居」が移転、その裏には、イタリア料理「ピアット スズキ チンクエ」がオープン。2020年には鮨店「GEJO」、そして国の登録有形文化財にもなっている廻船問屋・馬場家の米蔵を改造した「KOBO ブルワリー」、満寿泉を立ち飲みできる「沙石」が誕生。さらに2022年には蕎麦の「口岩」、魚津の人気居酒屋「ねんじり亭」が移転してきた。

いずれも富山の恵をふんだんに使ったこの場所だけの料理を堪能できるとあって、非常に人気が高い。食事に行くなら予約は必須だ。

夕食のための店を予約したなら、昼過ぎから岩瀬に行き、ギャラリーを訪ねて買い物をし、食事前に沙石やKOBOでアペリティフを楽しんでから向かうのもいいだろう。

岩瀬の町の面白いところは、職人や料理人たちの美意識が町の空気に自然に満ちているところだ。それは、桝田さんが30年かけて作り上げてきた町に暮らす人の気配から来ているのだと思う。決して排他的ではないが、すべての人を受け入れるおおらかさはない。しかしこの凛とした独特の雰囲気は、一度心を掴まれたら何度も訪れたくなってしまうほど魅力的だ。

鷹峯の光悦村のように、桝田隆一郎という人物に吸い寄せられて集まった才能溢れる人たちが、思い思いに創作活動をし、進化している岩瀬。そこでは、富山の新しい魅力を訪れるたびに見つけることができる。

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