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新ジャパネスク小説として話題のチェコの作家アンナ・ツィマの『シブヤで目覚めて』を、平野啓一郎がナビゲート。チェコと東京、ふたつの世界を時空を超えたストーリーの魅力を解説します。
チェコ人作家、アンナ・ツィマによる小説『シブヤで目覚めて』を、小説家・平野啓一郎がナビゲート。作品の魅力のほか、平野自身が読んできた外国作品や最近の芥川賞選考にも話は及んで。
~あらすじ~
プラハの大学で日本文学を専攻するヤナ・クプコヴァーは、大正・昭和期の謎の作家・川下清丸に傾倒していた。しかし寡作の彼を卒論のテーマにすることに難航する。同じ時に東京の渋谷では、かつて日本に旅行で訪れた時に彼女から分裂したもう一人のヤナが、姿形のない<想い>として、街をさまよい続けていた。自国に戻りたいヤナは、川下が卒論に値することを証明すれば状況が解決すると考え、ある計画を行動に移す…。
平野啓一郎(以下、平野):「文学の森」に海外の作家をお招きする機会は貴重で、一昨年には韓国人作家のハン・ガンさんをお招きしましたが、今回のクールではチェコ人作家のアンナ・ツィマさんに来ていただけることになりました。ご本人には次回ご登場いただきますが、今日はまず作品の魅力を取り上げたいと思います。
『シブヤで目覚めて』は日本を舞台にした作品で、チェコ文学に馴染みがない人でも面白く読めると思います。ヨーロッパにおける日本文学研究は、三島や谷崎が主流でしたが、アンナ・ツィマさんは主人公ヤナに反映されている通り、新しい世代です。村上春樹の作品をきっかけとしつつも、それだけでなく新感覚派の横光利一に深く興味を持つなど、この世代が日本文学にどのように関心を抱いていくかが詳しく描かれていて、新鮮さを呼びます。
『シブヤで目覚めて』は「分身」がテーマになっています。ドッペルゲンガーという現象は、ドストエフスキー、スティーヴンソン、ポーなど、昔から様々な作家によって書かれてきました。訳者あとがきで阿部賢一さんも触れていますが、「ジキルとハイド」のように、病的で、内面的な葛藤が、否定的な面と肯定的な面に分かれ、ふたつの人格として現れるというのが典型的なパターンです。その系譜上で、この小説の新しさは何かというと、日本に居続けたいという〈想い〉が強すぎて、チェコに帰るべき自分と分裂してしまうというところです。
分裂してしまった自分と再び一体化するまでのストーリーが主軸として展開されています。分身同士がもう一度出会えれば、おそらく一体化できるだろうという希望的な方向へと話は進みますが、その解決方法として、プラハにいる主人公ヤナの日本留学を叶えようと考えます。「研究対象の川下清丸が卒論に値するぐらいの作家であれば、日本に留学できるかもしれない」という設定が面白いです。まったくウェットではなく、妙に現実的な、日本文学を研究する人の問題と、非現実的な分裂の話が重なっていき、面白みを増していきます。
平野:この作品のお手柄は、設定を細かく書き過ぎなかったことだと思います。主人公から分裂した、日本への強い〈想い〉の分身がどういう風に存在しているのか、現実的な行動は詳しく書かれていない。それが非常に良いですよね。設定や詳細を大胆に省いたことで、小説としてうまくいったのだと思いますね。
─――必ずしも細かく書き込めばいいというわけではないのですね。
平野:設定を緻密に説明してしまうと、この小説特有の〝軽さ〟が出てこないんじゃないですかね。何を主眼に書きたいのかによっても変わると思います。例えば僕の『空白を満たしなさい』という小説も、死んだはずの人が生き返ってくる物語ですが、これがSFだったら、何がどういう仕組みで帰ってきたのか、何か別次元のパラレルワールドがあって、そこで物理的な何かで繋がっていて、というようなことまで書かなきゃいけないでしょう。SFの読者はそういう理屈づけが面白いのだと思いますが、僕は、そういう舞台設定にはあまり関心がないんです。それやると、読者は設定自体を延々と読まされることになる。だから、生き返る仕組みについては全然書いてないのですが、書いてないからこそ成り立っている話だと思います。
読者からの質問:主人公ヤナが村上春樹さんの『アフターダーク』を読んで日本文学に目覚めたように、平野さんご自身が海外文学に興味を持ったきっかけとなった作品や作家はありますか。
平野:僕は十代の頃に三島由紀夫の文学に出合い、大きな影響を受けました。その三島がすごく海外文学の影響を受けていて、多くの作家に言及していたことが、興味を持つ大きなきっかけになりました。
特に三島が三十代前半に『裸体と衣裳』という日記を書いていたのですが、僕は戦後の日記文学の中でも、最高傑作のひとつだと思っています。三島が結婚して、『金閣寺』もすごく評判になって、作品もどんどん映画化され、文壇でもメディアでも寵児のような扱いで、気力も充実していた時期でした。その『裸体と衣裳』の中に、モーリヤック、オスカー・ワイルド、フローベールなどの作品のレビューが、三島自身の覚書として書かれています。それが、僕が中学時代に文学を読み始めた頃の、良きガイドブックとなりました。
僕の世代でモーリヤックなんて読んでいる人はほとんどいないので、その作品について語り合えたのは、大江健三郎さんくらいです。僕は三島に導かれてモーリヤックを結構読みましたが、『テレーズ・ディスケル』や『愛の砂漠 』は傑作だと思います。フランスの19世紀以降の文学の頂点だと思うくらい、本当に上手い小説を書く作家です。
僕は文庫少年でしたので、岩波文庫の海外作品をずっと読んでいました。昔の岩波文庫は、表紙に内容の要約のようなものが書いてあるんです。その要約が見事で、それを読んだだけで、これは感動するに違いない、いやもう半分感動している、という気持ちになりました(笑)。それで一冊読むたびにリストをチェックしていって、本棚にピンク色の背表紙が一段二段と揃っていくのが嬉しかったです。
特定の国が好きということはなかったのですが、フランスの19世紀の象徴派の詩を、鈴木信太郎や小林秀雄が、非常に華麗な漢語をちりばめた美文で翻訳していて、その辺のフランス文学の翻訳体に魅了され、フランス文学が好きになったという経緯がありました。
─ ─ 先日、芥川賞の発表がありました。平野さんも選考委員を務められていましたが、文学賞の選考では、どういう作品を推したくなるのでしょうか。
平野:自分にはこういうものは書けない、と思うような作品を推したくなります。今回、僕が推した安堂ホセさんの『ジャクソンひとり』も、セクシュアリティの描き方は勿論ですが、独特なテンポ感や、対象との距離感などが新しいと感じました。
自分の関心やスタイルに近いから評価するというのは、僕も他の選考委員もないんです。僕のデビュー作『日蝕』も、宮本輝さんみたいな凡そ異なる作風の選考委員も褒めてくれました。古井さんのように、中世末期の神秘主義に関心を持っていたような選考委員に認められたのも、勿論、うれしかったですが、宮本さんの評価も心強かったです。
ただ難しいのは、いい作品でも大きな難点があると、なかなか受賞には至らないんですね。『ジャクソンひとり』も、終わり方に難があって、そこに引っかかった選考委員が多かった。実は僕もそうです。「でもいいところいっぱいあるじゃないですか」ということには、あまりならないですね。ただ、完成度重視となると、従来のスタイルで書けば、疵傷なく完成された作品を書きやすいですから、難しいところです。芥川賞は新人賞ですから、新しい世界を切り開こうとしていく作品を評価したいとは、一選考委員として思っています。
音楽でも文学でも、あるスタイルが広まっていくと、後発でそのスタイルを遥かに上手く使った作品ができるけれど、退屈なんですよね、それは。だから、ぎこちない部分があっても、「なんだこれは」と思わせてくれるようなチャレンジングな姿勢を評価すべきではないかと思います。
─ ─ 「なんだこれは」という作品は、一歩間違えれば、奇をてらっているだけにも見えてしまいます。そこにはどういう違いがあるのでしょうか。
平野:本当に書きたいテーマがあるかどうかでしょうね。あとは、上手く書けているかどうかだと思います。小説は究極的には、文章の魅力です。欧米の編集者は〝voice〟と表現したりしますが、日本人は「文体」というのが好きですね。
芥川賞を受賞した遠野遥さんの『破局』は、ある種の過剰さや気持ち悪さがとても上手く書けていました。カミュの『異邦人』も同様ですが、その違和感が上手に表現され完成度が高いと、これは何事かと思わされます。
また、それぞれ作風の異なる選考委員ですので、全員の意見が全く一致することはないですが、一人だけ異なることを言うこともあまりありません。ひとつの作品について順番に意見を述べていきますが、3番目や4番目に言うときは「皆さんおっしゃいましたので、あまり付け加えることもありませんが、あえて言うと…」となることが多いです。あるレベルのところでは、割と合意されて話が進む傾向もありますね。
この続きは、平野啓一郎さんと「文学の森」でもっと語り合ってみませんか?
「平野啓一郎の文学の森」は、平野啓一郎をナビゲーターとして、古今東西の世界文学の森を読み歩く文学サークルです。3か月毎に定めたテーマ作を、月に一度のライブ配信で読み解く、小説家による小説解説!
1月〜3月のテーマは、アンナ・ツィマ署著の『シブヤで目覚めて』。ご参加後は過去のアーカイヴも視聴可能です。
次回は、大江健三郎著『セヴンティーン』『不意の唖』です。
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1975年愛知県・蒲郡市生まれ。北九州市出身。京都大学法学部卒。1999年在学中に文芸誌「新潮」に投稿した『日蝕』により第120回芥川賞を受賞。40万部のベストセラーとなる。以後、一作ごとに変化する多彩なスタイルで、数々の作品を発表し、各国で翻訳紹介されている。2004年には、文化庁の「文化交流使」として一年間、パリに滞在。著書に、小説『葬送』『決壊』『ドーン』『空白を満たしなさい』『透明な迷宮』『マチネの終わりに』『ある男』など、エッセイ・対談集に『私とは何か「個人」から「分人」へ』『「生命力」の行方~変わりゆく世界と分人主義』『考える葦』『「カッコいい」とは何か』など。2019年に映画化された『マチネの終わりに』は、現在、累計60万部超のロングセラーに。『空白を満たしなさい』が原作の連続ドラマが2022年6月よりNHKにて放送。『ある男』を原作とする映画が2022年秋に公開、と映像化が続く。作品は国外でも高く評価され、長編英訳一作目となった『ある男』英訳『A MAN』に続き、『マチネの終わりに』英訳『At the End of the Matinee』も2021年4月刊行。「自由死」が合法化された近未来の日本を舞台に、最新技術を使い、生前そっくりの母を再生させた息子が「自由死」を望んだ母の<本心>を探ろうとする最新長篇『本心』は2021年に単行本刊行。ミステリー的な手法を使いながらも、「死の自己決定」「貧困」「社会の分断」といった、現代人がこれから直面する課題を浮き彫りにし、愛と幸福の真実を問いかける平野文学の到達点。2023年、構想20年の『三島由紀夫論』を遂に刊行。『仮面の告白』『金閣寺』『英霊の声』『豊饒の海』の4作品を精読し、文学者としての作品と天皇主義者としての行動を一元的に論じた。三島の思想と行動の謎を解く、令和の決定版三島論。
STAFF
Photo: Manabu Mizuta
Movie: Cork
Text: Junko Tamura
Editor: Yukiko Nagase,Kyoko Seko
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