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“歌えないと生きている意味がない”──ドラマティックに歌い上げる姿が印象的な世界的大スター、セリーヌ・ディオン。開会式の終盤、雨の降り注ぐエッフェル塔の五輪マークの下に突然その姿が浮かび上がったかと思うと、内に秘めた揺るぎない信念から放たれるパワフルな歌唱で、幻想的な空間を見つめる世界中の人々を魅了した。晴れの舞台に復活した、全身全霊で歌い続ける、彼女の真の強さに迫る。
パリオリンピックが閉幕した。式典についてエンターテインメント的な見方をすると、閉会式はトム・クルーズが話題を攫ったが、開会式ではやはりセリーヌ・ディオンの復活の歌声が印象に残った。なんといっても100年ぶり3回目となるパリ開催のオリンピックである。近代オリンピックの創設者がフランス人のピエール・ド・クーベルタン男爵とあって、演出にも気合も入る。開会式は異例の屋外で催され、雨の中のセーヌ川を各国の選手団は船に乗って登場し、史実を刻んできた世界遺産の建造物を活かした多様なパフォーマンスは、贅沢な観光ガイドとして映るうえに、物議を醸し出すほど話題に事欠かないものとなった。そして、エッフェル塔に燦々と輝く男爵デザインの五輪マークの下に、セリーヌは登場した。聖火ランナーが集い、熱気球に配置された聖火台に火が灯された瞬間、「愛の讃歌」のイントロが流れ、鮮やかな光のショーの舞台となったエッフェル塔の特設ステージに、セリーヌ・ディオンとピアニストの姿が現れたのだ。しかも通常のように聖火点灯で終わるのではなく、セリーヌが歌い終わることで、壮大な開会式の幕を閉じたのである。
セリーヌ・ディオンは、エディット・ピアフの名曲「愛の讃歌」を熱唱した。この歌は6月25日にアマゾンプライムで公開されたドキュメンタリー『アイ・アム セリーヌ・ディオン ~病との闘いの中で~(I Am: Celine Dion)』の中でも重要な曲として扱われ、彼女が10代の時に歌った映像が使われている。また、亡き夫ルネ・アンジェリルから贈られたマリア・カラスが持っていたというネックレスを紹介しながら、「間違いなく世界最高のオペラ歌手の一人ね。……彼女が私に力をくれる」と話している。「愛の讃歌」を歌うことが、彼女の復活への大きな後押しとなったことは間違いない。
このドキュメンタリーは、活動を休止してからの闘病記であり、それまでの半生にも触れられている。セリーヌはスティッフパーソン病(SPS)の治療に専念するために活動を休止することを2022年12月に公言したが、実は17年も前からこの難病に悩まされてきたという。SPSとは中枢神経系の病気で筋肉が痙攣し、最終的には全身の筋肉が動かなくなるとされ、100万人に一人が罹る病気と言われる。17年前というと、ちょうどセリーヌがバーバラ・ストライサンド、ルチアーノ・パバロッティ、ザ・ビージーズ、ダイアナ・キングなどを迎えたアルバム『レッツ・トーク・アバウト・ラヴ』(77)を発表した頃である。今思うと、この時に共演者が多いのは、自身が歌う負担を減らすためだったのだろうか。
2021年の定例のラスベガス公演を中止し、その後活動を休止したセリーヌだが、今年2月のグラミー賞にプレゼンターとして久しぶりに公に姿を見せた。また6月にはNBCの単独インタビューを受け、前述のドキュメンタリー映画を放映することを発表した。この作品は2023年から撮影を始めたといい、その時から復活を信じて制作していたと思われる。さらに、この頃にはセリーヌがパリオリンピックの開会式で歌うことを想定していたのではないだろうか。マリア・カラスの話が出たり、曲が流れたりすることに加え、アメリカのオリンピック放映権はNBCが所有していることから想像できる。開会式での歌唱がノーギャラであることなど関係なく、過酷なリハビリから彼女を鼓舞するには、これは至福のご褒美である。ただ、体調を憂慮したためであろう、セリーヌが歌うことは直前まで明かされなかった。
セリーヌ・ディオンといえば力強い歌声を誇る正統派シンガーであり、「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン(タイタニックのテーマ)」(97)を筆頭に、映画のストーリーに寄りそうドラマチックなバラードを歌うシンガーとして一躍世界的スターに上り詰めた。日本では、大人気だったTVドラマ『恋人よ』の主題歌「トゥ・ラヴ・ユー・モア」(95)も彼女を有名にした。90年代にマライア・キャリーやメアリー・J・ブライジなどと一世を風靡したディーバ世代の中でも、自分で作詞をすることはなく、プロが手掛けた秀逸曲からさらに厳選し、ひとりでも多くの人の心に響くような響くような楽曲を歌うことに徹してきた。
私生活では14人兄弟の末っ子として生まれ、人懐っこく、子供の頃から人前で歌ったり、人々を楽しませたりすることが大好き。実際、TV番組でも私の取材中でもすぐにモノマネをやってみせてくれるほど陽気な性格である。恋愛にも一途で、当時12歳だった彼女の才能を高く評価し、マネージャーになったルネ・アンジェリルと、26歳の時に26歳という歳の差婚を果たす。そして彼が癌を患った時には、少しでも一緒にいられるようにとラスベガスに家を購入し、ラスベガスで専属公演を担うようになった。完璧主義者だが、周囲への気の遣い方も半端なく、だからいつまでもあんなに細い身体で頑張っているのかな、といつも感じていた。
イタリア系アメリカ人のレディー・ガガが、パリオリンピックの開会式のメンバーに選ばれた理由はわからない。しかし、セリーヌはフランスに縁がある。1968年にカナダのフランス語圏のケベック州に生まれ、12歳でプロの歌手となり、1981年にフランス語でファーストアルバムを発売、1984年には最年少でパリのオリンピア劇場でコンサートを行った。1991年に英語で歌ったアルバム『ユニオン』で世界デビューを果たし、世界的大スターになっても、定期的にフランス語のアルバムを発表し、今も3人の息子たちと英語に加えフランス語でも会話をしている。
世界デビューすると、アメリカでは、ピーボ・ブライソンとデュエットしたディズニーのアニメーション映画『美女と野獣』(91)の主題歌や、映画『アンカーウーマン』の主題歌となった「ビコーズ・ユー・ラヴド・ミー」(92)などが、アカデミー賞優秀主題歌賞やグラミー賞にノミネートされるほど大ブレイク。1996年3月に発売した『FALLING INTO YOU』では、 ティナ・ターナーのカヴァーである「リヴァー・ディープ、マウンテン・ハイ」や、「オール・バイ・マイセルフ」(エリック・カルメン)や「イッツ・オール・カミング・バック・トゥ・ユー」(ジム・スタインマン)などのパワフルなナンバーも歌ってシンガーとしての魅力を広げ、このアルバムは翌年のグラミー賞で最優秀アルバム賞、最優秀ポップヴォーカルアルバム賞などを受賞した。さらにセリーヌはこの勢いのまま、1996年7月にアトランタオリンピックの開会式に登場した。その約1年半前にはルネと結婚し、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いでワールドツアーをまわるセリーヌは、当時45歳の若さで、戦後生まれの初のアメリカ大統領に就任したビル・クリントンがアメリカ経済を立て直していた時代に、象徴的な存在のひとりだったと言える。
STAFF
Music Journalist: Natsumi Itoh
Edit&Conposition: Kyoko Seko
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