『箱男』は雑居ビルのような物語と考えるといい

平野:『箱男』については、どういう作品だと考えてらっしゃいますか?

島田:かなりの野心作だと思いますよ。たった300枚ぐらいの中で、語りの位相が次々と変化していき、写真まで入って、謎めいていきます。その意図をどういうふうに読み取るか。独特の魅力を放っている作品ですね。

平野:確かにかなり読者を混乱させるような書き方になっていますが、島田さんは、どのように読み取りましたか?

島田:そんなに難しく考える必要はないと思っているんです。間口が狭い雑居ビルのイメージでこの作品を捉えるといいんじゃないかと。路面にはラーメン屋とかカフェが入っていて、エレベーターで上がっていくと各階にいろんな種類のお店が雑居している。怪しげな法律相談所とか、会計事務所とかがあったり、更に階上へ行くと探偵事務所があったり。ひとつのビルなんだけれども、フロアや部屋が変わると、ドアの向こうに全く別の、普段全く接点がないような他者がそれぞれよろしく暮らしている。ところがそこである種の局地的な変な病気とか流行が発生すると、1階からだんだんと上階へじわじわ広がっていくというような。そんな雑居ビルのイメージでこの『箱男』という作品を捉えています。

平野:ラストシーン、突然路地みたいなところに出て行く辺りとか、確かに雑居ビルを抜け出たような感じがありますね。安部公房作品の登場人物は、閉鎖空間の中にいることの安定と、そこからの脱出願望という両義性の間でいつも揺らいでいる。『砂の女』では、砂丘から脱出しようとするけど、最後にはその中に留まる方に心が傾く。『箱男』も、箱の中から出ようとするけど、出てしまうと不安になる。そして『壁』ではタイトルの通り壁になってしまうことで、その両方の狭間に存在を留めることになる。

島田:閉鎖空間の中で生きやすくする工夫を考えたり、脱出しようとするんだけど、メビウスの輪のように内と外が逆転するという現象が、安部公房の作品ではよく起きますね。

Q1.「ポストモダン文学」とは何か?

──島田さんはデビュー当時から「ポストモダン文学の騎手」として注目を集めてきましたが、ご自身にとって、“ポストモダン文学”とは何なのでしょうか?(参加者からの質問)

島田:モダニズム(近代主義)というのは本来、科学技術の向上とか、基本的人権の確立とか、大きな努力目標があって初めて成立するものです。例えば1970年の万博は、挫折した近代化をやり直し、戦後復興と経済成長を達成して、優れたメイドインジャパンを打ち出せるようになったことを世界にアピールする大きな目的がありました。

それがその後、機能しなくなっていく中で、新たに大きな物語を作らないといけないとなった。しかし、大きな何かでなくて、逆に小さな物語を無数に展開していくというやり方もあるのではないか。ポストモダンというものが脚光を浴びた時には、このような方針転換があったのではないかと考えています。

要するに国家的な大きな物語を追求するのではなく、──それはどのみち川端や三島のように、“空虚”という壁に跳ね返されてしまうのだから──無数の小さな物語を、礫(つぶて)のように投げつけて、それである種、殺されずに済むようにする。どうせ金持ちになったって、金持ちに幸福な人はいませんので、自分の趣味に生きて、好き勝手いろんな物語を書き散らかすと。そういうスタンスのことだと、今私は再定義しております。

平野:今日は興味深いお話をしていただき、本当にありがとうございました。とっても楽しかったです。

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PROFILE
小説家 平野 啓一郎
小説家
平野 啓一郎

1975年愛知県・蒲郡市生まれ。北九州市出身。京都大学法学部卒。1999年在学中に文芸誌「新潮」に投稿した『日蝕』により第120回芥川賞を受賞。40万部のベストセラーとなる。以後、一作ごとに変化する多彩なスタイルで、数々の作品を発表し、各国で翻訳紹介されている。2004年には、文化庁の「文化交流使」として一年間、パリに滞在。著書に、小説『葬送』『決壊』『ドーン』『空白を満たしなさい』『透明な迷宮』『マチネの終わりに』『ある男』など、エッセイ・対談集に『私とは何か「個人」から「分人」へ』『「生命力」の行方~変わりゆく世界と分人主義』『考える葦』『「カッコいい」とは何か』など。2019年に映画化された『マチネの終わりに』は、現在、累計60万部超のロングセラーに。『空白を満たしなさい』が原作の連続ドラマが2022年6月よりNHKにて放送。『ある男』を原作とする映画が2022年秋に公開、と映像化が続く。作品は国外でも高く評価され、長編英訳一作目となった『ある男』英訳『A MAN』に続き、『マチネの終わりに』英訳『At the End of the Matinee』も2021年4月刊行。「自由死」が合法化された近未来の日本を舞台に、最新技術を使い、生前そっくりの母を再生させた息子が「自由死」を望んだ母の<本心>を探ろうとする最新長篇『本心』は2021年に単行本刊行。ミステリー的な手法を使いながらも、「死の自己決定」「貧困」「社会の分断」といった、現代人がこれから直面する課題を浮き彫りにし、愛と幸福の真実を問いかける平野文学の到達点。2023年、構想20年の『三島由紀夫論』を遂に刊行。『仮面の告白』『金閣寺』『英霊の声』『豊饒の海』の4作品を精読し、文学者としての作品と天皇主義者としての行動を一元的に論じた。三島の思想と行動の謎を解く、令和の決定版三島論。

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