4_『不意の啞』の素晴らしさは構成力に

——この作品を読んで、大江健三郎ってこんなに読みやすい作品も書いているのかと驚きました。

平野:大江さんが23歳の時に書いた作品で、なんというか、才能がむき出しになっていますよね。時代的な問題が非常にシャープに捉えられていて、僕が自信喪失した作品のひとつです(笑)。

まず主題が面白いですよね。芥川賞受賞作の『飼育』が対戦中のことを描いた作品なのに対し、『不意の啞』は戦後です。GHQの支配が地方の田舎にまでどう影響したのか。地方の人の複雑な態度と、ある日本人の滑稽で醜い人間性を、批評的に描き出しています。

そして注目すべきは、小説としての構成力が比類ないことです。丁寧に読んでいくと、物語がかっちりとしたシンメトリカルな 構造の中に収まっていて、その構成力に衝撃を受けました。その運びにわざとらしさがしなくて、いかにも一気呵成に書いたようにも見えますが、非常にうまく構成されています。

——シンメトリカルというのは、具体的にどのようなところでしょうか?

平野:まず冒頭、外国人を乗せた1台のジープが夜明けの霧の中を走ってくるのを、見守っていた少年が一気に駆け出すという場面から始まります。そして最後は、村から出ていくジープを、まるで存在しないかのように村人たちが黙って送り出す。

その対称関係だけではなく、この小説を読み終わった後にイメージしてみると、小説全体が明と暗に二分されているのに気がつきます。前半、昼の場面では、非常に緊迫感のある場面だけれども、明るい滑稽さもある。一方で、後半、通訳の男が殺される夜の場面は底知れない暗さがある。その強烈なコントラストが、小説全体に劇的な効果をもたらしています。

5_『セヴンティーン』の死の捉え方に強く共感

 ——『セヴンティーン』はどこを切り取ってもパンチのある文章で、『不意の啞』とはまた全く違う作風ですね。

平野:1961年、大江さんが26歳の時の作品で、やっぱり傑作だと思います。戦後世代の若者が天皇主義者になっていく過程が、徹底的に戯画化されて描かれています。滑稽を極めて書かれているんだけど、クラスメイトから笑われたりとか、議論で負けてしまったりする場面は、共感してしまう。読者の心を捉えて離さないような人物像でありながら非常に戯画化されているところが、非常にうまい作品ですよね。

僕は特に、この作品に書かれている大江さんの死生観に非常に強く共感しました。僕が少年時代に抱いていた死に対する感覚は、それをいくら人に説明しようとしてもなかなか通じなかったのですが、大江さんの作品を読んで、「まさに自分が感じていることだ」と思いました。

自分が死ぬ瞬間、肉体の痛みへの恐怖ではなくて、死に続ける時間の長さが何億年と途方も無いことを考えるのが恐ろしい、という感覚。今でも、死を考えたときの恐怖感の一番大きいものはこれですね。

その死の恐怖心を克服するために、主人公は、「おれが死んだあとも、おれは滅びず、大きな樹木の一分枝が枯れたというだけで、おれをふくむ大きな樹木はいつまでも存在しつづけるのだったらいいのに、とおれは不意に気づいた」という発想に至る。天皇と自分が結びつき、私心をなくして大義のために生きれば、自分という個体が滅びても、自分の存在は、日本あるいは天皇と結びついたまま生き残り続けるんだという発想になっていきます。死後、自分の存在の受け止め先があると思うと、現実世界の規範が無効化されてしまうというのが、この後の展開です。

コンプレックスまみれだった若者が、右翼の制服を着た途端、社会から恐れられて、一目置かれ、自尊心を回復していく。彼とその世界を一体化させていくプロセスが気持ち悪いぐらいの生々しさで描かれていますね。

6_大江作品をさらに読むなら?

——今回の読書会を機に、大江文学を読み進めていこうとしている方に向けて、平野さんのおすすめ作品を教えていただけますか?

平野:誰もが好きな大江作品というと、『芽むしり仔撃ち』だと思います。閉鎖的な空間に閉じ込められた受難者としての少年たちの物語ですが、後世のドラマなどにも影響を与えている素晴らしい作品だと思います。

あとは、『新しい人よ眼ざめよ』ですかね。世界中で最も評価された大江作品といえば『個人的な体験』ですが、今となっては『新しい人よ眼ざめよ』の方が好きですね。

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PROFILE
小説家 平野 啓一郎
小説家
平野 啓一郎

1975年愛知県・蒲郡市生まれ。北九州市出身。京都大学法学部卒。1999年在学中に文芸誌「新潮」に投稿した『日蝕』により第120回芥川賞を受賞。40万部のベストセラーとなる。以後、一作ごとに変化する多彩なスタイルで、数々の作品を発表し、各国で翻訳紹介されている。2004年には、文化庁の「文化交流使」として一年間、パリに滞在。著書に、小説『葬送』『決壊』『ドーン』『空白を満たしなさい』『透明な迷宮』『マチネの終わりに』『ある男』など、エッセイ・対談集に『私とは何か「個人」から「分人」へ』『「生命力」の行方~変わりゆく世界と分人主義』『考える葦』『「カッコいい」とは何か』など。2019年に映画化された『マチネの終わりに』は、現在、累計60万部超のロングセラーに。『空白を満たしなさい』が原作の連続ドラマが2022年6月よりNHKにて放送。『ある男』を原作とする映画が2022年秋に公開、と映像化が続く。作品は国外でも高く評価され、長編英訳一作目となった『ある男』英訳『A MAN』に続き、『マチネの終わりに』英訳『At the End of the Matinee』も2021年4月刊行。「自由死」が合法化された近未来の日本を舞台に、最新技術を使い、生前そっくりの母を再生させた息子が「自由死」を望んだ母の<本心>を探ろうとする最新長篇『本心』は2021年に単行本刊行。ミステリー的な手法を使いながらも、「死の自己決定」「貧困」「社会の分断」といった、現代人がこれから直面する課題を浮き彫りにし、愛と幸福の真実を問いかける平野文学の到達点。2023年、構想20年の『三島由紀夫論』を遂に刊行。『仮面の告白』『金閣寺』『英霊の声』『豊饒の海』の4作品を精読し、文学者としての作品と天皇主義者としての行動を一元的に論じた。三島の思想と行動の謎を解く、令和の決定版三島論。

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