百貨店が導く、新しい価値、「ウェルスコーディネート」とは

三越伊勢丹が更新する、サービスの形

PR/MITOUS(ミトウス)

三越伊勢丹グループであるエムアイカードが提供する金融サービス『MITOUS(ミトウス)』。このたび加わった「ウェルスコーディネート」は、三越伊勢丹の歩みに裏付けられたオーセンティックで、なおかつ最新の取り組みといえるだろう。

SPECIAL Dec 5,2025
百貨店が導く、新しい価値、「ウェルスコーディネート」とは

越後屋は呉服店であり両替商だった

三越伊勢丹グループの起源は、1673年、三井高利が開業した越後屋呉服店に遡る。「店前現銀無掛値(たなさきげんきんかけねなし)」、つまり現在行われているような定価販売を標榜、さらにすぐに仕立てて渡す「仕立て売り」も行うことで、一躍人気となり、「芝居千両、魚河岸千両、越後屋千両」と称されるほどになった。1683年には店舗焼失により現在日本橋三越本店が位置している駿河町に移転。その際、両替商を併せて開業している。呉服の仕入れを行う京都では銀建て決済、江戸は金建て決済で、為替手形による送金とその現金化が重要であり、当初は呉服業のために自ら両替商を手がけることを、三井高利は選んだのだった。ところが両替業自体が活況となり、やがて幕府の為替御用方として任ぜられるようになった。現代ではまったくの異業種に映る、百貨店などの小売業と金融業だが、越後屋、のちの三越伊勢丹グループでは、そもそも両立されていたのだった。

両替商としても成功した越後屋

「現銀無掛値(現銀掛け値なし)」を謳った越後屋呉服店の看板の画像
「現銀無掛値(現銀掛け値なし)」を謳った越後屋呉服店の看板。
歌川広重「東都名所・駿河町之図」の画像
歌川広重「東都名所・駿河町之図」。遠くに富士を望み、左右両側に越後屋呉服店が描かれている。

パリ、ロンドン、そして東京。百貨店の確立

百貨店という存在が誕生したのは、いつだろうか。その第一号といわれるのが、フランス・パリ左岸の『ボン・マルシェ』。バビロン通りに現在もある建物ができたのが1869年だった。また英国では、ヴィクトリア朝の栄華のもとで、『ハロッズ』が1884年に新しい店を開業している。19世紀後半から20世紀にかけてブルジョワ層(中産階級)、さらには女性たちが多くの国で経済や文化の担い手になりつつある中、その変化を象徴するような存在として、百貨店が登場したともいえるだろう。日本も例外ではない。1904年に株式会社三越呉服店が設立され、「デパートメントストア宣言」を記載した挨拶状が顧客宛に送付された。その後1914年にはルネサンス様式による鉄筋5階、地下1階の新たな日本橋本店が落成。三越は17世紀に開店した越後屋から続く形で、近代百貨店として発展を遂げたのだった。ちなみに現在も日本橋本店の正面玄関に鎮座するライオン像は、この時に設置された。

百貨店の登場は世界同時的だった

上は関東大震災後の1927年、修築工事を終えた三越呉服店日本橋本店。その下右は1900年ごろの英国・ロンドンの『ハロッズ』、その左は1910年ごろのフランス・パリ『ボン・マルシェ』百貨店の外観の画像
上は関東大震災後の1927年、修築工事を終えた三越呉服店日本橋本店。その下右は1900年ごろの英国・ロンドンの『ハロッズ』、その左は1910年ごろのフランス・パリ『ボン・マルシェ』百貨店の外観(ともに©Mary Evans Picture Library/アフロ)。
1904年に顧客に送付された三越呉服店「デパートメントストア宣言」の一部の画像
1904年に顧客に送付された三越呉服店「デパートメントストア宣言」の一部。

百貨店が先導する文明と文化

19世紀から20世紀にかけて世界は急激に発展を遂げた。日本でも大正から昭和で映画やレコードなどが普及し、1925年にはラジオ放送も始まった。そうした文明の進歩は多彩な文化も生み出していく。当時百貨店はその最先端を扱っていた。1914年には日本初のエスカレーターが日本橋三越本店新館に設置された。また1927年には、日本橋三越本店本館6階に、世界でも珍しい百貨店内の劇場として三越ホール(現・三越劇場)が開館、同年9月には日本で初のファッションショーが開催された。この三越劇場は、東劇や帝国劇場とともに、第二次世界大戦後の演劇復興の一翼を担った。物販だけでなく、新しい生活様式や文化を伝える場として、百貨店はメディア的な役割も担うようになった。

新技術の導入と文化の発信

日本橋三越本店新館内に、1914年に設置されたエスカレーターの画像
日本橋三越本店新館内に、1914年に設置されたエスカレーター。日本の建築物としては初めてだった。
1927年に三越ホールで開催された「三越のファッション・ショウ」のレポート記事の画像
1927年に三越ホールで開催された「三越のファッション・ショウ」のレポート記事。日本で初めてのファッションショーは和装を披露するものだった。

モノを超え時代の価値を提案すること

第二次世界大戦後、日本は飛躍的に発展を遂げ、成熟社会へ。百貨店においては、新たなサービスや視点が追求されるようになった。往時の伊勢丹の広告には、そんな百貨店の姿勢がよく表れている。例えば「なぜ年齢をきくの」というキャッチコピーには、年齢からサイズへと変わる洋服の選択軸を訴求する一方で、女性の装いに関する既成概念を浮き彫りにし、それをしなやかに切り返している。ジェンダーにかかわらず個人が尊重され、自己実現できるような社会。それはいまなお追求されているが、百貨店は早くから、その担い手だったといえるかもしれない。個人として自由を追求するという点では男性もまた同様。1968年に開館した「男の新館」は、男性もファッションを楽しむ時代を先導した。こうして百貨店は、新たな価値観をもたらす存在となり、今日に至っている。

ライフスタイルの変化を反映

1968年にオープンした伊勢丹新宿本店「男の新館」の画像
1968年にオープンした伊勢丹新宿本店「男の新館」。男性がファッションに関心を持ち始めた当時の世相を受けて開館した。2003年には現在の「メンズ館」にリモデルされる。
伊勢丹のキャンペーンポスターの画像
伊勢丹のキャンペーンポスター。「なぜ年齢をきくの」は国際婦人年でもあった1975年秋のテーマ。

三越伊勢丹のあゆみ

明治以前

駿河町越後屋呉服店大浮繪(奥村政信画)の画像

越後屋創業、呉服店と両替店を併置

1673年、三井高利が江戸本町一丁目に呉服店「越後屋」を開業。のちに現在日本橋三越本店がある駿河町に移転し、両替店を併置した。写真は駿河町越後屋呉服店大浮繪(奥村政信画)。

明治〜大正

初代小菅丹治(写真)の画像

伊勢屋丹治呉服店が開業

1886年、神田旅籠町に初代小菅丹治(写真)が伊勢屋丹治呉服店を創業。屋号は初代丹治の養家であった伊勢又から受け継がれている。「丸に伊」の店章はこの時に定められた。

大正〜昭和

1933年に開店した伊勢丹新宿本店の画像

百貨店として発展する三越と伊勢丹

1904年に株式会社三越呉服店が設立され、「デパートメントストア」宣言。1928年には株式会社三越に改称する。1932年に「三越前」駅開業。1933年、伊勢丹新宿本店(写真)が開店。

昭和〜平成

地方、そして海外へも進出

三越、伊勢丹ともに地方への出店、さらに海外への出店が進む。1951年より、三越にて猪熊弦一郎デザインの包装紙を使用。1979年には伊勢丹新宿本店新館8階に「伊勢丹美術館」開館。

平成〜現在

三越伊勢丹として百貨店の枠を超え展開

2003年に伊勢丹新宿本店メンズ館リモデルオープン。2004年、日本橋三越本店に現在の新館が開館。2008年に三越伊勢丹ホールディングス設立。

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