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深く、濃く、味わい豊かに読書を楽しむ。小説家・平野啓一郎が作品や著者のあふれる魅力をナビゲート。vol.1~3は森鴎外著「舞姫」です。
~あらすじ~
幼少より神童として周囲の期待を受け、勉学を究め官吏となった太田豊太郎。国から派遣されたドイツで仕事と学問に励むも、孤独をかかえていたある日、ドイツ人の踊り子・エリスに出会う。劇場の支配人に関係を迫られ悲嘆にくれる彼女を助け、ふたりは次第に親しくなっていく。共に暮らし愛を育むが、やがて太田は日本への帰国が余儀なくされ、エリスを置いて去ることを決断。それを知ったエリスは精神に錯乱をきたしてしまう。
──森鴎外は今年、生誕160年、没後100年ということで改めて注目されています。まずは、平野さんにとっての鴎外をうかがえますか。
平野啓一郎(以下、平野):鷗外は漱石とならんで、日本文学の両巨頭で近代文学の2大源流のように言われていますが、圧倒的に認知度は漱石が高い。ただ、僕はずっと鴎外派なんですよ。
最初の出合いは、保育園でのお遊戯会。鴎外の『山椒大夫』がもとになっている『安寿と厨子王』のお芝居をみんなでやることになり、なぜかぼくは、山椒大夫役を先生から強く薦められて演じました。「人買いのふてぶてしい感じが出ていて、とても良かった」と好評で、保育園に通っていた間で、いちばん褒められた思い出です。
大学時代、小説家になりたいと思ってから、漱石・鴎外・芥川の作品ぐらいは、全部読んでいないといけないと感じ、それぞれ読破をしました。そのとき、いちばん肌に合ったのが鴎外です。以来、折りにふれ、作品等を読み、調べたりもしてきた、非常に尊敬している作家です。
──このライブ配信に先立って行われた『舞姫』の読書会※では、「主人公・太田豊太郎は〝身勝手な男〟なのか」をテーマに掲げて話し合いました。結果的には、身勝手であるし、大事なときに決められない男だ、という声が多く出ました。どう思われますか。
※「文学の森」では、平野啓一郎によるライブ配信のほかに、メンバー限定の読書会も開催しています。
平野:僕もその意見には賛成です。『舞姫』は名文で非常に好きな小説ですが、この作品を良いとする人は少ないですね。エリスは身ごもった自分が太田に置いて行かれると知り、精神が破綻した状態になりますが。太田はエリスを残して帰国しました。
ただ注目すべきは、鴎外は決して太田豊太郎を美化して書いてはいないということです。十人が十人とも、エリスが可哀想だという気持ちになる書き方をあえてしています。
鴎外は文学者ですから、なにか夢のようないいお話をこしらえようというのではなく、ひとつの問題提起として書いているんです。「ひとりの日本の青年がいて、これはどうですか?」と読者に問いかけている。徹頭徹尾、文学者として徹して書いているところは、さすが鴎外だと思います。
平野: 鴎外は、準備万端でこの小説を書き始めました。ドイツ留学中に、ヨーロッパでもごく初期の女性解放運動の会合が3日間開催されました。ほとんど女性しか参加しなかったなかで、唯一の日本人男性として参加し、それについてのフェミニズム研究者の研究もあります。社会状況や階層の違いで女性がどういう立場にあるのかを、鴎外は自覚的に知っていました。
このようなことをふまえたうえで、鴎外は女性をひとくくりにせず、ドイツ三部作※のなかで、自分の意思を通せる貴族階級の女性を書く一方で(『文づかい』)、エリスのように、社会的に弱い立場や政治的に困難な状況下で翻弄される女性を描いています。『うたかたの記』は、没落した宮廷画家の娘で、カフェの女給で、その中間という感じですかね。明治時代の家父長制度下、男尊女卑が強い時代であったにもかかわらず、誰もが女性という存在、その社会的な地位の低さから来るエリスの不幸に共感するように書いているのは、鴎外が女性を尊重していたからだと思います。
※鴎外の『舞姫』、『うたかたの記』、『文づかい』の三作品。
平野: 主人公・太田はたしかに問題のある人物です。立身出世のためにエリスを捨てた悪い輩だということになっています。が、その実、太田は出世欲が強かったわけではありません。では、彼の何が悪いかというと、主体性がないことです。太田は、親に報いるために勉学をし、人に役立つ仕事をもちながらも、それは自らの渇望したものではなく、周りから求められるがまま進み、自分の人生ではないと感じています。エリスとの関係もなりゆき任せの印象で、世話になった友人や大臣に帰国を強く促されて、彼女に対してなにもできないまま帰国します。
これは『舞姫』だけのテーマではなく、鴎外文学のひとつの核心です。鴎外は徹底した〝反自己責任論者〟ではないかと思います。結論としては、〝仕方がなかった〟という感じなんです。他人に対しては、同情と憐憫があり、自分に関しては〝諦念〟、諦めの境地というようなところがあります。
人間は、社会構造や因習、偶然性、病、感情、義理、無意識、制度や法律的なもの、歴史やイデオロギーなど、諸事情のなかに構造的に位置づけられているから、自由意志というものが一体ありえるのか、ということが鴎外の生涯の関心事だったと思います。そういうさまざまな枠組みのなかで太田をみると、結局、太田はほとんど自由意志がないような書き方になっているんですね。
平野: 鴎外は主人公を自分の名前に重ねて描いているくらいなので、一種の自己批判と言えます。但し、あくまで客観視して、問題として提示していると思います。しかし同時に、太田は腑抜けたやつだとして、突き放して書いているわけではなく、共感をこめて、〝仕方がなかった〟ということを受け入れつつ、誰もがエリスの状況に心打たれ哀感をもつ。この矛盾を描こうとしたのが『舞姫』ではないかと思います。
ただ、当時はぼくが考えたように読んだ人はあまりいませんでした。「『舞姫』の太田豊太郎は許せん、あいつをぶん殴りにいく」なんていうパロディ小説も当時あったほどです。
この続きは、平野啓一郎さんと「文学の森」でもっと語り合ってみませんか?
「平野啓一郎の文学の森」は、平野啓一郎をナビゲーターとして、古今東西の世界文学の森を読み歩く文学サークルです。3か月毎に定めたテーマ作を、月に一度のライブ配信で読み解く、小説家による小説解説!
4月〜6月のテーマは、森鴎外の『舞姫』と『阿部一族』。ご参加後は過去のアーカイヴも視聴可能です。次回は、レフ・トルストイ著『アンナ・カレーニナ』です。
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1975年愛知県・蒲郡市生まれ。北九州市出身。京都大学法学部卒。1999年在学中に文芸誌「新潮」に投稿した『日蝕』により第120回芥川賞を受賞。40万部のベストセラーとなる。以後、一作ごとに変化する多彩なスタイルで、数々の作品を発表し、各国で翻訳紹介されている。2004年には、文化庁の「文化交流使」として一年間、パリに滞在。著書に、小説『葬送』『決壊』『ドーン』『空白を満たしなさい』『透明な迷宮』『マチネの終わりに』『ある男』など、エッセイ・対談集に『私とは何か「個人」から「分人」へ』『「生命力」の行方~変わりゆく世界と分人主義』『考える葦』『「カッコいい」とは何か』など。2019年に映画化された『マチネの終わりに』は、現在、累計60万部超のロングセラーに。『空白を満たしなさい』が原作の連続ドラマが2022年6月よりNHKにて放送。『ある男』を原作とする映画が2022年秋に公開、と映像化が続く。作品は国外でも高く評価され、長編英訳一作目となった『ある男』英訳『A MAN』に続き、『マチネの終わりに』英訳『At the End of the Matinee』も2021年4月刊行。「自由死」が合法化された近未来の日本を舞台に、最新技術を使い、生前そっくりの母を再生させた息子が「自由死」を望んだ母の<本心>を探ろうとする最新長篇『本心』は2021年に単行本刊行。ミステリー的な手法を使いながらも、「死の自己決定」「貧困」「社会の分断」といった、現代人がこれから直面する課題を浮き彫りにし、愛と幸福の真実を問いかける平野文学の到達点。2023年、構想20年の『三島由紀夫論』を遂に刊行。『仮面の告白』『金閣寺』『英霊の声』『豊饒の海』の4作品を精読し、文学者としての作品と天皇主義者としての行動を一元的に論じた。三島の思想と行動の謎を解く、令和の決定版三島論。
STAFF
Photo: Manabu Mizuta
Movie: Cork
Text: Junko Tamura
Editor: Yukiko Nagase,Kyoko Seko
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