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連載「大人の読書タイム」第26回では、小説家・平野啓一郎が、『キッチン』の著者・吉本ばなな氏を迎えて対談。テンポのよい読みやすい文章のなかに込められた深い思い、寓話的な物語を生み出す独自の創作法など、貴重な話を公開してくれるひとときとなりました。
対談者:吉本ばなな
1964年東京生まれ。日本大学藝術学部文芸学科卒業。87年『キッチン』で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。88年『ムーンライト・シャドウ』で泉鏡花文学賞、89年『キッチン』『うたかた/サンクチュアリ』で芸術選奨文部大臣新人賞、同年『TUGUMI』で山本周五郎賞、95年『アムリタ』で紫式部文学賞、2000年『不倫と南米』でドゥマゴ文学賞、2022年『ミトンとふびん』で谷崎潤一郎賞を受賞。著作は30か国以上で翻訳出版され海外での受賞も多数。近著に『はーばーらいと』など。noteにて配信中のメルマガ「どくだみちゃんとふしばな」をまとめた文庫本も発売中。
共に暮らしていた祖母を亡くし、天涯孤独となった桜井みかげは、ひとつ歳下の大学生・田辺雄一とその母・えり子の家で暮らすことを誘われる。心優しい雄一と、男性で生まれながら今は女性として生きているえり子との、奇妙でいて自然な日常を送るなか、みかげの心は次第に再生していく。
えり子が、気の狂った男に殺される。田辺家を離れ、料理研究家のアシスタントとして働くようになっていたみかげは、雄一から知らせを受け、久しぶりに田辺家にかけつける。家族がまったくいなくなってしまった雄一の深い寂しさに寄り添い、二人は新たな関係を築いていく。
平野啓一郎(以下、平野):吉本さんのデビュー作『キッチン』をあらためて拝読しましたが、物語に出てくる様々な「食べ物」が印象に残りました。小説家が思っている以上に、読者は、登場人物が何を食べているのか気にしているんですよね。『キッチン』でも、様々な食べ物が、その場面や人物に絶妙にマッチしています。吉本さんは普段から食事や料理に深い関心がおありなのでしょうか。
吉本ばなな(以下、吉本):料理には関心がありますね。私は、『24-TWENTY FOUR』や『ミッションインポッシブル』を観ていても、長い時間が経っているのに食事のシーンがないことに違和感を感じるんですよ。途中でつまみ喰いとかしてくれたら、もっとリアリティがあるのにと思うんです(笑)。
平野:確かに、トム・クルーズがひと仕事終えて美味しそうに食事している場面とか、あんまり見たことない気がします(笑)。
吉本:あとは、人間の三大欲求のうち、性欲以外の欲に関する物語を書きたかったというのもあります。『キッチン』の登場人物は、みんな弱っていて、コンディションの悪い人たちですよね。それどころじゃないというか、食べることでしか自分の状態を確認できないんだと思います。それくらい鈍いところが、現代の読者にとってはよかったんじゃないかな。
平野:人間の根源的な欲求としての「食べる」という行為が、登場人物が回復していく上で重要な意味を持っているということなんですね。
平野:文体は非常に軽快な一方で、内容は、「死」が作品全体にわたって書かれています。どなたか身近な方が亡くなった影響などがあったのでしょうか?
吉本:子供の時から、周りの人が亡くなるということはよくありました。それこそ三島由紀夫さんの自死をはじめとして、死が日常にあったことを子供心にもよく覚えていますね。
平野:吉本さんが生まれ育った80年代の東京はバブルの時期でもありますが、その影響はどうですか?
吉本:『キッチン』を書いた頃はバブルが弾ける少し前でした。一部の人は羽振り良く過ごしているけど、新規事業に失敗したり、借金のために亡くなったり、そういった死が身の回りでよくありました。私は下町の生まれ育ちで、「これは上品、これは下品」とか、「こういうことは言うもんじゃない」という確固たる価値観があったので、バブルに左右されはしませんでした。ただ、時代に置き去りにされていく人々を見て思うところがありましたね。
平野:それがこの作品の登場人物の造形にも影響を及ぼしたのでしょうか?
吉本:作風自体は、5歳くらいから変わらないんですよ。なんで人は生まれてくるのか、人生とは生きるに値するのかしないのか。目に見えないものはどのくらいこの世に力を及ぼしているのか。自分の中にはずっとあったテーマなのですが、バブルの華やかさの中で、みんなが「さみしさ」を抱えていた時だったと思います。そのさみしさを埋めるために、多くの人がこの本を手に取ってくれたのかなと分析しています。
平野:「文学の森」に参加されている方からも、あらためて読み返してみて、発表当時とは印象が変わったという声を多く上がりました。今この時代に、もう一度この作品と出合い直した、みたいと思うところがあるのも、そういった理由かもしれませんね。みんな、さみしくなっているというか。
吉本:私の作品の特徴は、”大胆な省略”をするところなんですが、『キッチン』もかなり大胆に省略しながら書きました。だからこそ、普段本を読まない人たちも読んでくれたのかもしれません。
平野:これは、吉本さんの小説技法の中でも、僕が最も憧れる部分のひとつなんですよ。省略ってなかなか難しいんです。
吉本:どうやったら読んでいる人の心の中に空間を生み出せるか、ということを考えて、意図的に省略する訓練をしていました。文字でどうやったら余白を表せるのか。とりすぎてしまって骨子だけになって、肉付けしていくこともよくあります。
平野:大胆に省略しながらも骨子だけにならず、リアリティを失わないようにするために意識していることはありますか?
吉本:変なところをみっちり書くことですかね。どうでもいいようなところをみっちり書くと、意外とその前後を省略しても伝わるんですよね。
平野:作品の中身の話についても伺いたいと思います。主人公のみかげは、唯一の肉親だった祖母を亡くして「天涯孤独」になり、自分の置かれた状況を把握できず、戸惑っている状態から始まります。そこから少しずつ回復に向かっていく、というのが書く前の漠然としたプランとしてあったのでしょうか?
吉本:なんでしょうね。急に世の中にポーンとひとりで出ちゃう、そういうときに頼れると思うものを直感として掴む。そういう危うさを書きたかったのだと思います。
平野:その時に絶妙な距離感でみかげに寄り添っていく雄一という青年がいます。その彼が、全然マッチョなところがなくて、性的なものも滲み出ていませんね。この男性像は、みかげのことを思って自然に出てきた人物像なのでしょうか。それとも、その時代の吉本さんの友達の雰囲気なのでしょうか?
吉本:いえ、この時代の友達は、みんなガツガツしてましたね(笑)。たいていの場合、私はインタビュー形式で書いています。「こんな場合はあなたはどうするんですか?」と登場人物に尋ねるんです。もし私がみかげだったら、親戚に頼るとか、料理の現場の寮に入るとか、なにかしら手立てを考えたり、現実的に人とのつながりを考えると思います。でも、みかげは私ではありませんから。みかげは、何も考えられない状態で、悲しいのか悲しくないのかもわからない、自分にお金があるかないかもわからない、できれば緩やかに自殺したい、というような人だったわけです。そういう気持ちで街を歩いていたら、同じような気持ちの人としか目があわないと思うんです。
平野:やはり吉本さんは、「自分のことを書きたい」というわけではなくて、あくまで小説の登場人物として距離をとって、物語人の人物を書きたいという意識が強くあるのでしょうか。
吉本:そうですね。現代の寓話みたいなものを書きたいので、あんまりリアリティに走っちゃうとそれが消えちゃうから、浮かせておきたいのかもしれません。例えば、この話を雄一の視点でリアルに書いたら、もっと薄汚れていると思うんです。男女関係が乱れていたり。でも、彼が自分自身の良いところを引き出してみかげに接するから、みかげから見たら、なんとなく良く見えてしまう。本当のところ、そういう物語だと思います。
平野:ある意味、そこがうまく省略されているというか。
吉本:一人称って、自分から見た勝手なカメラですから。その人たちの裏の裏とか、これまで何をしてきて、どういう感じでお金を稼いでいるかとか、そういうのを見ないで、乙女のカメラで切り取っている。しかし彼らの人生に暗い気配はある。だから妙な暗さが出ているんだと思います。
平野:描き始めるときに、登場人物の外観のイメージとか声とか、具体的に思い浮かぶのでしょうか。それとも漠然としたところから書き始めるのですか。
吉本:もう、着ている服のブランドやどんな靴を履いているかまで決まっています。もう「いる」から、ただ見るだけです。
ーー『キッチン』のあとがきに、「たったひとつのことを言いたくて、小説を書いている」と書かれていたのですが、そのたったひとつのこととは、何なのでしょうか? それは今も変わっていないですか?(参加者からの質問)
吉本:はい。何か確信を持って、人が自分で自分を成り立たせていれば、世の中が平和になるとか、人間関係が円満になるというのは感じてきたし、実践してきました。『キッチン』でも、そういうことを書いていると思ってます。
人って、本当はできるのにわざとしてないことが結構多いと思うんです。だから他人に対して、こう振る舞えば円満になるとわかっていながら、あえて複雑にしてしまっているという、「遊び」の部分がすごく多いと思います。『キッチン』の主人公みたいに、「遊び」の部分を出してる場合じゃないってなったときに、初めて気がつくことがあるように思います。
私が「あとがき」で書いたことは、人生というのは生きるに値するものだ、短かろうが長かろうが、とにかく意味のあることだということです。それをいろんな形で書いていて、意味のあるものにするためには、個人があらゆる意味で自立しているということが大切です。経済的な自立とかそういうことではなくて、人間として、自分の足で立っていて、自分はこういう人間であると、漠然とでいいから思っていられること。それが言いたかったんだと思います。それを今も書いてます。
平野:作中でも、「本当に捨てらんないのは自分のどこなのかをわかんないと、本当に楽しいことがなにかわかんないうちに大きくなっちゃう」という台詞があります。日々の生活の中で流されていると、いろいろなことを見失いがちですが、「本当に捨てられないもの」という言葉はすごく印象的でした。これは「できるのにしないこと」という話にも繋がるのかなと思って、今聞いてました。今回は、『キッチン』についていろいろと質問攻めしてしまいましたが、ひとつ一つ丁寧に、予想していなかったような深い答えをいただき感激しています。とても豊かな時間をありがとうございました。
この続きは、 平野啓一郎さんと「文学の森」でもっと語り合ってみませんか?
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1975年愛知県・蒲郡市生まれ。北九州市出身。京都大学法学部卒。1999年在学中に文芸誌「新潮」に投稿した『日蝕』により第120回芥川賞を受賞。40万部のベストセラーとなる。以後、一作ごとに変化する多彩なスタイルで、数々の作品を発表し、各国で翻訳紹介されている。2004年には、文化庁の「文化交流使」として一年間、パリに滞在。著書に、小説『葬送』『決壊』『ドーン』『空白を満たしなさい』『透明な迷宮』『マチネの終わりに』『ある男』など、エッセイ・対談集に『私とは何か「個人」から「分人」へ』『「生命力」の行方~変わりゆく世界と分人主義』『考える葦』『「カッコいい」とは何か』など。2019年に映画化された『マチネの終わりに』は、現在、累計60万部超のロングセラーに。『空白を満たしなさい』が原作の連続ドラマが2022年6月よりNHKにて放送。『ある男』を原作とする映画が2022年秋に公開、と映像化が続く。作品は国外でも高く評価され、長編英訳一作目となった『ある男』英訳『A MAN』に続き、『マチネの終わりに』英訳『At the End of the Matinee』も2021年4月刊行。「自由死」が合法化された近未来の日本を舞台に、最新技術を使い、生前そっくりの母を再生させた息子が「自由死」を望んだ母の<本心>を探ろうとする最新長篇『本心』は2021年に単行本刊行。ミステリー的な手法を使いながらも、「死の自己決定」「貧困」「社会の分断」といった、現代人がこれから直面する課題を浮き彫りにし、愛と幸福の真実を問いかける平野文学の到達点。2023年、構想20年の『三島由紀夫論』を遂に刊行。『仮面の告白』『金閣寺』『英霊の声』『豊饒の海』の4作品を精読し、文学者としての作品と天皇主義者としての行動を一元的に論じた。三島の思想と行動の謎を解く、令和の決定版三島論。
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Photo: Manabu Mizuta
Movie: Cork
Text: Jun Mizukami
Editor: Yukiko Nagase,Kyoko Seko
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