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アトランタオリンピックのために書き下ろされた「パワー・オブ・ザ・ドリーム」(96)では、18歳から英語を猛勉強し、アメリカのエンタメ界で闘いながら世界的スターに上り詰めたセリーヌの姿と、人生を捧げて練習に明け暮れ、怪我も克服するなどし、オリンピックというステージに立った選手に重なる部分があっただろう。さらに、今回難病と闘いながら復活の歌声を響かせることは、当然この開会式に相応しい人物だと誰もが思ったに違いない。しかしフランスで親しまれてきた「愛の讃歌」は、越路吹雪が大ヒットさせ(岩立時子による訳詞)、結婚式でも歌われるほど好まれてきた、一途の愛を貫く内容ではない。というのも、不倫中だったエディット・ピアフが“祖国や友人を見捨ててもこの愛を貫く”と、自ら作詞したシャンソンだからである。そう考えると、国を挙げてのオリンピックに相応しい歌なのかどうかは疑問は残るが、恋愛至上主義のフランス人にとっては最高の愛の歌なのだろう。なお、セリーヌがまとった衣裳は、ディオールのデザイナーのマリア・グラツィア・キウリが手掛けた衣裳で、シルクジョーゼットにスパンコールの刺繍が手仕事であしらわれ、1000時間ほどかけて職人が作業したという。
思えば彼女は、 アトランタオリンピック開会式での至福の瞬間を過ごした翌年から、喉や声、体調に異変をきたしていた。ドキュメンタリーの中で「私の声が自分の人生を導いてきた」と話し、自分の人生をショービジネスの世界に捧げてきたゆえ、常に喉のコンディションを保つために、ワールドツアー中も観光らしい観光をしてこなかったと明かす。真面目な彼女はそれを“成功の代償”といい、体調が酷くなってからは、「音楽が恋しい」「観客に早く会いたい、みんなの前で歌いたい」と嘆く。ただし彼女がすごいのは「努力することは、私には難しいことじゃない」と話し、「計画通りに進まなくても私は諦めないし、私は立ち止まることなく進む」という意志の強さを持ち合わせていることだ。
自分の楽器である声(喉)が薬を増量するだけでは治らなくなり、医学療法士の力を借りながら、痙攣や固まってしまう筋肉を改善させていく。どんなに辛くても頑張れるのは、ステージで歌うことが彼女の生きる場所であり、人前に立つことで生命力を体感することができるからだ。ステージに戻れるためならリハビリを何百回でも続けられるという姿勢は、まさにオリンピックに出場するためにどんなに厳しいトレーニングにも耐えられる、選手たちの諦めない意志の強さと合致する。“歌えないと生きている意味がない”というセリーヌの痛切な思いは、自分自身とも闘うために、命懸けで練習してきたという選手の声を反映するものなのである。
開会式での熱唱は、まさにこのドキュメンタリー『アイ・アム セリーヌ・ディオン ~病との闘いの中で~』のエンディングにふさわしい景色に思える。本来ならば、ビヨンセがコーチェラフェスティバル2018で大トリを務めるにあたり、出産シーンを含めたパフォーマンス達成の経緯をドキュメンタリー映画に収めたように、セリーヌも開会式で歌声を響かせたシーンまでをこのドキュメンタリーに収めるのが理想であっただろう。しかし、彼女は現在も闘病中だ。そうはいっても、オリンピックという場で復活を成し遂げてしまう回復力は、観客や競技に人生を捧げてきた選手たち、さらには多くの困難を克服してきたパラリンピックの選手たち、そしてSPSに悩まされている患者にとっても大きな勇気になったに違いない。
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セリーヌ・ディオン/ Céline Marie Claudette Dion。1968年3月30日、カナダ・ケベック州のシャルルマーシュに14人兄弟の末っ子として生まれる。12歳でプロデビューし、彼女の才能を発掘したマネージャーと26歳で結婚。ヒット曲やグラミー賞受賞歴などは数多く、全世界でのレコード、CD総売上枚数は2億枚を軽く超えるといわれる。また、2011年からラスベガスのシーザーズ・パレス・ホテルの特設コロシアムで定期公演を行うようになり、新たなファンを開拓した。2016年に夫と兄、2020年に母を亡くし、失意のどん底に陥り、2022年12月には自身の難病を発表し、活動を休止。しかし、パリオリンピックで見事に復活した。3人の息子(うち次男と三男は双子)がいる。
音楽ジャーナリスト・アメリカ文学研究
伊藤なつみ
デヴィッド・ボウイ、坂本龍一からマドンナ、ビョーク、宇多田ヒカル、ロバート・グラスパーなど、取材アーティスト数は数え切れないほど。『ユリイカ』2023年5月号に掲載の論考「ヒップホップ・フェミニズムの変遷」など、現在は黒人女性のエンパワーメントについても研究中。
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