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平野:続いてですが、金原さんがドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』(新潮文庫/原卓也訳)を、僕も実はドストエフスキーの『悪霊』を持ってきました。金原さんは、ドストエフスキー作品とはどのように出合いましたか?
金原:デビュー当時、編集担当者に、「ドストエフスキーを一切読まないままデビューしてしまったのはまずい」と言われたんです。
平野:その編集者は、彼ですか?
金原:はい、今の旦那です(笑) その彼に、20歳までに読むべきだと言われて、デビューしてすぐ読み始めました。上巻がすごく苦痛で「これなんの罰?」と思いながら読み進めるうちに引き込まれ、中巻から転げ落ちるようにどんどんその世界へ行くっていう体験をしました。
超大作で、群像劇で、いろんな人間が出てきて、登場人物が意見を強く闘わせ合う、こういうタイプの作品を初めて読んで、すごくショッキングでしたし、登場人物たちと共 に生きているような感覚を持って読むことができたんです。
その影響もあり、この後、私も一人称多視点をよく使うようになったんです。いろんな人の視点が入っていないと、のっぺりしてスパイスが足りないと思うんです。
『カラマーゾフ』は極端な人物造形が参考に
平野:この小説を読んだ人に対する、よくある質問なんですけど、登場人物の中で誰が一番好きですか。
金原:私はこう聞かれると必ずアリョーシャが好きと言うんですが、本当に好きなのは多分ドミトリーで、恐らく同族嫌悪的な気持ちがあって好きとは言えないんです。自分としてはイワン的な立場をとりたいと思っても、実際にはドミトリー的な感覚でしか生きられない、そういうふうに物語の人物を、話し手と共有して使えるのがとても楽しいなと思います。
平野:そうですね、海外の作家と会ったときにも、共通の話題になりますよね。僕もやはりドミトリーが好きで、圧倒的に迫力を持っていると思います。古井由吉さんとお話ししたとき、「西洋の文学をやってきた人間としては、イワンが話し出すとほっとする。けれど、ドミトリーにはやっぱりロシア的な曰く言い難いものを感じる」というようなことをおっしゃっていました。キャラクター造形がとても極端ですよね。
金原:そうですね。現代だとここまで盛り上がる設定は作れないだろうと思います。ただ、人物を書き分けて、それぞれ見えている世界の違いを表現するところは、自分の作品に影響を与えていると思います。
平野:僕は『悪霊』(岩波文庫/米川正夫訳)を持ってきました。パリに行った頃にずっと読んでいました。
『決壊』という小説を書くときに、ドストエフスキーの技巧を意識して読み直しました。ドストエフスキーは、会話の合間に身体の描写が多いんですよ。歯ぎしりしてガチガチだったとか、手がブルブル震え出したとか、身体感覚の過剰な描写が魔術的な効果を持っているんです。読んでいると、読者の自律神経に影響がでて、ドキドキしながらのめり込んで本を読んでしまう、そのせいで具合が悪くなったりします。
『決壊』ではその技巧を使って、身体の描写を増やしたんですよ。すると効果がありすぎて、読者から「読んでいるとなんだか苦しくなる。」という感想をもらって、言葉の効果に感心もしましたが、それもさじ加減が必要だと思わされました。
金原:私も『蛇にピアス』(集英社)を書いたときに、スプリットタンを作るときの描写が生々しくて、「痛くて読めなかった」というようなことを言われたりしました。引き込ませる力があると同時に、人を排除してしまうところもあるので難しいです。拒絶されてしまうこともありうるんですよね。
平野:そうですよね。「悲しい」物語はみんな好きで読めるけれど、「苦しい」物語は読めない。僕たちが今の社会に生きていて書くべきことには、苦しみが根底にあるので、それを書かなければと思います。その苦しさがうまく悲しさのような形で描かれてると、みんな受け入れやすいのだけど、苦しさが苦しいままだと読むのが辛くなるんですよね。ドストエフスキーは、登場人物は苦しんでるんですけど、読めてしまう。
金原:そうですね。現代人が読むとかなりハードルの高い、苦しいものではあると思うんですけど、でもなんだかユーモラスな力があるんですよ。抜け感があるんですよね。
平野:金原さんから見てドストエフスキーの女性の捉え方はどう思われますか?
金原:ドストエフスキーの描く女性は結構、好きです。『カラマーゾフ』の女性は「生きているなあ」って思います。正直、男性作家が描く女性って、理想や空想が投影されているようで、私は納得いかないことが多いです。でも、ドストエフスキーは女性の“わからなさ”や“手に負えなさ”というのを受け入れた状態で書いているのが潔いし、女性からみても嫌じゃないのが稀有だと思います。何よりも男性の欲望を受け入れないところも魅力的ですね。
平野:そうですね。ドストエフスキーは本も厚いし、内容も哲学的なのでマッチョなイメージがありますが、僕もドストエフスキーは女性をよく知っていたんじゃないかなと思うくらい、女性のわからなさというのをよく描いていると思います。
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1975年愛知県・蒲郡市生まれ。北九州市出身。京都大学法学部卒。1999年在学中に文芸誌「新潮」に投稿した『日蝕』により第120回芥川賞を受賞。40万部のベストセラーとなる。以後、一作ごとに変化する多彩なスタイルで、数々の作品を発表し、各国で翻訳紹介されている。2004年には、文化庁の「文化交流使」として一年間、パリに滞在。著書に、小説『葬送』『決壊』『ドーン』『空白を満たしなさい』『透明な迷宮』『マチネの終わりに』『ある男』など、エッセイ・対談集に『私とは何か「個人」から「分人」へ』『「生命力」の行方~変わりゆく世界と分人主義』『考える葦』『「カッコいい」とは何か』など。2019年に映画化された『マチネの終わりに』は、現在、累計60万部超のロングセラーに。『空白を満たしなさい』が原作の連続ドラマが2022年6月よりNHKにて放送。『ある男』を原作とする映画が2022年秋に公開、と映像化が続く。作品は国外でも高く評価され、長編英訳一作目となった『ある男』英訳『A MAN』に続き、『マチネの終わりに』英訳『At the End of the Matinee』も2021年4月刊行。「自由死」が合法化された近未来の日本を舞台に、最新技術を使い、生前そっくりの母を再生させた息子が「自由死」を望んだ母の<本心>を探ろうとする最新長篇『本心』は2021年に単行本刊行。ミステリー的な手法を使いながらも、「死の自己決定」「貧困」「社会の分断」といった、現代人がこれから直面する課題を浮き彫りにし、愛と幸福の真実を問いかける平野文学の到達点。2023年、構想20年の『三島由紀夫論』を遂に刊行。『仮面の告白』『金閣寺』『英霊の声』『豊饒の海』の4作品を精読し、文学者としての作品と天皇主義者としての行動を一元的に論じた。三島の思想と行動の謎を解く、令和の決定版三島論。
STAFF
Photo: Manabu Mizuta
Movie: Cork
Text: Jun Mizukami
Editor: Yukiko Nagase,Kyoko Seko
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