“新しい女”としての『サロメ』は現在のMe Too運動にも響きあう

平野:『サロメ』という作品の根底には、キリスト教の「原罪」というテーマあると思います。今の世であれば、同性愛は倫理的な罪でも何でもないことなんだけど、その時代では刑法違反になってしまう。

小川:それは三島由紀夫にも重なるポイントですよね。

平野:三島の『禁色』という小説では、「露見したら破滅だ」という不安を登場人物たちがみな抱えているんですよね。三島の場合は結局、異性愛者としての生を全うしましたが、ワイルドの場合はそれが法廷闘争にまでなり、『オスカア・ワイルド論』で三島はその事にかなり強い関心を寄せていますよね。

小川:原罪ということでいうと、『サロメ』の中で、女性は家父長的な社会の枠組みにおいては、父親から別の男性にある種「交換」され、流通するものとして存在しているという大前提があります。そういう社会制度の中で、サロメは唯一それに抗う”新しい女”なんだと思うんです。

女性は何か少しでも道徳に反することをすると糾弾されます。サロメの母親のヘロディアはおそらく原罪と呼ばれているもの全てを背負って登場する人物で、ヘロデもその周辺にいる人たちも、ヘロディアとサロメが欲望を持つ人間として存在することを許していない。究極的に、ただ接吻をしたかったという、純粋に何かを欲する女性の欲望の物語だとして読めば、実はMe too運動にも響き合うようなテーマなのだと思います。

ワイルドは女性への“アライ”(支援する人)だった

小川:これを象徴しているのがサロメが初めて登場するところで、平野さんは「これ以上あんなところにはいられないわ。もうたくさん。」と訳されています。今の現代社会のMe tooの文脈で考えたときにも、女性の生きづらさを表現していると思います。

平野: 小川さんおっしゃったサロメが登場する場面は、やはり象徴的ですね。「これ以上あんなところにはいられないわ。」と言った後に、「仮にもお母様の夫たる人が、あんなふうにわたしを見つめるなんて、おかしいわよ。」と言っています。これは、現代の家族関係や仕事関係において、女性が晒されている男性のおかしな眼差しという、Me too 以降の問題に通じる話で、ワイルドはこの時代に、非常に繊細にこのことを感じ取っていますね。

小川:ワイルドは実は、女性への“アライ”(支援する人)だったんです。女性の生きづらさを理解していた。「女の世界」という雑誌の編集長をしていた時、当時は書くことを許されていなかった女性たちの声を、芸術家や研究者に頼んで表現しているんです。サロメが男性に交換される受動的な器や物ではなく、主体性を持ち欲望を持つ女性として描くことの重要性を意識していたのだと思います。

家父長制が敗北する場面に「セルフケア」の倫理がある

──「ケア」という概念で文学作品を読み解く小川さんの研究に関心があり、「世界文学をケアで読み解く」も拝読しました。『サロメ』を「ケア」という視点で読み解くとどうなるか、伺えたら嬉しいです(読者からの質問)

小川:後半、ヘロデ王がサロメの願いを諦めさせようとして、「お前の母でさえ見たことない宝石を隠し持っておる」と言い、世界に存在する宝と呼ばれるもの全てを列挙し、物欲を煽る場面があります。しかしサロメは彼女の信念、男性の持ち物や言いなりになることに自分は抵抗するんだということを曲げない。

この交渉がヘロデ王の失敗に終わる。つまり家父長制の敗北に終わるところに、実は「ケアの倫理」を感じます。自己犠牲とか、他者を愛するとか、もちろんそういう意味でもケアの倫理は理解されて、間違いではないんですけども、最初に「ケアの倫理」を提唱した倫理学者のキャロル・ギリアンは、もともと家父長制への抵抗として「ケアの倫理」を導入しています。

サロメが象徴しているMe too的なものとか、我慢してヘロデ王の眼差しの対象でい続けることを拒否するのは、セルフケアなんです。キャロル・ギリガンが一番言いたかったのは、他者へのケアだけがケアの倫理と思われているけれど、セルフケアが大事だということだと思います。そこに関して言えば、サロメはセルフケアの物語といえると思います。

平野:今回は、ワイルドを主な研究対象としている小川さんに来ていただいて、僕自身ではちょっととても気がつかないような視点から、ワイルドの作家論を伺うことができました。本日はありがとうございました。

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PROFILE
小説家 平野 啓一郎
小説家
平野 啓一郎

1975年愛知県・蒲郡市生まれ。北九州市出身。京都大学法学部卒。1999年在学中に文芸誌「新潮」に投稿した『日蝕』により第120回芥川賞を受賞。40万部のベストセラーとなる。以後、一作ごとに変化する多彩なスタイルで、数々の作品を発表し、各国で翻訳紹介されている。2004年には、文化庁の「文化交流使」として一年間、パリに滞在。著書に、小説『葬送』『決壊』『ドーン』『空白を満たしなさい』『透明な迷宮』『マチネの終わりに』『ある男』など、エッセイ・対談集に『私とは何か「個人」から「分人」へ』『「生命力」の行方~変わりゆく世界と分人主義』『考える葦』『「カッコいい」とは何か』など。2019年に映画化された『マチネの終わりに』は、現在、累計60万部超のロングセラーに。『空白を満たしなさい』が原作の連続ドラマが2022年6月よりNHKにて放送。『ある男』を原作とする映画が2022年秋に公開、と映像化が続く。作品は国外でも高く評価され、長編英訳一作目となった『ある男』英訳『A MAN』に続き、『マチネの終わりに』英訳『At the End of the Matinee』も2021年4月刊行。「自由死」が合法化された近未来の日本を舞台に、最新技術を使い、生前そっくりの母を再生させた息子が「自由死」を望んだ母の<本心>を探ろうとする最新長篇『本心』は2021年に単行本刊行。ミステリー的な手法を使いながらも、「死の自己決定」「貧困」「社会の分断」といった、現代人がこれから直面する課題を浮き彫りにし、愛と幸福の真実を問いかける平野文学の到達点。2023年、構想20年の『三島由紀夫論』を遂に刊行。『仮面の告白』『金閣寺』『英霊の声』『豊饒の海』の4作品を精読し、文学者としての作品と天皇主義者としての行動を一元的に論じた。三島の思想と行動の謎を解く、令和の決定版三島論。

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