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小説家・平野啓一郎がお気に入りの文学作品とその著者のあふれる魅力をナビゲート。今回は、自身の最新作『三島由紀夫論』へ込めた思い、三島への共感と自身の思想について語ります。
三島作品によって文学の世界へ導かれたという平野啓一郎。最新刊『三島由紀夫論』に込めた思い、そして三島への共感と自身の思想について語ります。
平野啓一郎(以下、平野):中学時代に『金閣寺』を読んで強い衝撃を受け、それが文学に目覚めたきっかけになりました。あれほどの衝撃を一冊の本から受けたことは、後にも先にもありませんし、あのとき『金閣寺』と出合わなければ、自分の人生は今と同じではなかったと思います。
『三島由紀夫論』は、構想・執筆23年に及ぶ作品です。これほど長く執筆の情熱が持続したのは、自分がどうして三島由紀夫にあんなにも強く惹かれたのか、ある意味、自分の文学者としてのルーツを知りたいという気持ちがあったからです。また、三島の享年である45歳を超えるときには、『三島由紀夫論』を刊行して、三島の年齢を自分が乗り越えたいという気持ちもありました。
ただし、三島に対しては、先行する研究者も多いですし、みな思い入れが強く、個人的な〝我が三島〟が語られることも多い。文学の読み方としては、それこそが重要だと思いますが、自分の仕事としては、自己投影が過多になることなく、三島を徹底的に他者として理解しようとすることを、本書では心がけました。
4つの代表作(『仮面の告白』、『金閣寺』、『英霊の声』、『豊饒の海』)を精読し、三島の言わんとしてることを正確に理解して、そのような考え方に至ったかの経緯を、時代背景と彼が影響を受けた思想を通じて分析する。その後に、三島という作家はなんだったのか、特に思想的にどういう作家だったのかを語りたかったのです。
平野:三島は戦後の日本社会に対して、非常に虚無的なものを感じていました。戦争体験はあまりにも強烈で、終戦後、日常生活を普通に生きることに戸惑い、「生の実感」をつかみ損ねるのです。
これは僕の『「カッコいい」とは何か』という本にも書きましたが、戦後、多くの人は国のためではなく、会社のために頑張るというような、一種の出世主義に生き甲斐を見い出します。
一方、仕事以外の享楽的な面では、生きる実感を身体的な感覚に求めていくのです。たとえば音楽だと、ビートルズへの熱狂、また体に響くジャズやロックのシビれるような音楽の陶酔感にそれを求めます。スポーツで体を動かすというのも生きる実感のひとつで、東京オリンピックは象徴的な出来事でした。
戦後は「アプレ・ゲール」と呼ばれる、無軌道になっていく若者たちが現れ、三島より十歳年下の世代の石原慎太郎や大江健三郎らは、若者たちの〝性〟を生きる実感の主題にしています。三島と大江健三郎は、虚無からの脱出という問題意識を持っていた点で、共通しているんです。
大江さんは、特に初期作品では「性」を通じて、日常生活に緊張感を回復し、生きている実感を取り戻し、虚無からの脱出を託そうとしています。『性的人間』や『われらの時代』がその典型です。
しかし、 三島は性的指向や恋愛感情などのセクシャリティーが非常に複雑で、 ストレートに表現できない点で、大江さんとは異なります。
平野:三島のニヒリズム(虚無主義)に僕は非常に共感しました。三島は、戦後の高度経済成長に大きな空虚感を持ち、自分の居場所はないと感じていたと思います。
一方で僕は、‘80年代後半のバブル経済のときに十代後半を過ごしました。北九州の田舎で育ち、東京のバブルの狂乱状態をテレビで見たときに、非常に空虚なものを感じたんです。自分は何のために生きているのか、という問いが芽生えてきたときに、三島が戦後社会に感じていた空虚感と、その空疎さの上に美を打ち立てていく彼の文学者としての姿勢に非常に共感したのです。三島の言語芸術は、虚無の上に打ち立てようとしていたひとつの大きな実体でした。だからこそ、最終的に、自己アイデンティティの空虚感を、「日本」とか「天皇」といったものに結びつけることによって、下支えしてもらう発想になっていくところには、どうしても違和感があります。
大江さんが戦中の実体験を元に、反天皇性民主義者となったのに対して、十歳年上の世代の三島は、同世代の多くを戦死で失くしていたため、心情的にそれを否定できなかった。
そして、社会が虚無化していたら行動ができないので、天皇を中心とした世界を有意味化して、その上で三島は行動を起こそうとしました。
——三島が虚無感を克服するために出した答えが「天皇」だったとすると、平野さんはどういう答えをお持ちでしょうか。
平野:ニヒリズムの克服という観点では、僕の答えは「分人主義」だと思います。大江さんは、自分の故郷にある四国の森が豊かな文学的空間であり、最終的には孤独な現代人のたどり着く先だということを『万延元年のフットボール』以降、ずっと描き続けています。
僕は北九州という都市部、労働者としていろんな人たちがたくさん流入してくる街で育ちました。だから地元の豊かな神話的空間が最後は僕を支えてくれるとは思えないんです。僕は天皇および日本の歴史にも自分を接続できないし、もっとローカルな土地に自分の位置や行きつく先があるわけでもない。
そのような中で、孤独に日常を生きるときに、人間は主体が分化していて、それぞれ他者との関係性の中に実体があるんじゃないかという考えに至りました。四国の森とか天皇とか、一なる大きな存在に自分を支えてもらうのではなく、具体的な複数の関係性の中に、自分の生の基盤を見るべきではないかという考えです。この分人主義という考え方は、尊敬する二人の作家を批評的に捉えて、自分なりに乗り越えようとした結論なのです。
──先日の講演で、平野さんが小説を書き始めたきっかけは自分の悩みへの処方箋だったという話が印象に残りました。
平野:現実の世界に完全に満たされて、今の社会で矛盾なく生きてる人は、別に文学を読む必要も書く必要もなく、そのまま人生をエンジョイすればいいと思います。現実の中で何か悩みを抱えたり、満たされないものがある人たちが、文学を読むのだと僕は思います。ある種の苦悩があって、その苦悩と戯れることが心地よいのであればそれでいいと思うのですが、自分の抱えてる悩みが切実だと、その痛みを「治したい」と思うんですよね。
僕の場合、「自分とは何なのか」というアイデンティティの悩みがあり、苦しかったので、その状態から脱したい、自分の症状から回復したいという気持ちがとても強かったんです。小説で単に苦悩を吐露するだけではなく、どういう思想が自分を救済してくれるのかということをずっと考えていました。
ただ、僕の苦悩は僕に特殊なものではなくて、この時代の日本という社会に生きていて、その関係性の中で生じてくる苦悩なので、ということは、同じ社会に生きている読者にも一定程度共有される苦悩ではないかと思います。 その僕に効く薬であれば、他の人たちにも効くのかもしれないという期待で、小説を書いています。
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1975年愛知県・蒲郡市生まれ。北九州市出身。京都大学法学部卒。1999年在学中に文芸誌「新潮」に投稿した『日蝕』により第120回芥川賞を受賞。40万部のベストセラーとなる。以後、一作ごとに変化する多彩なスタイルで、数々の作品を発表し、各国で翻訳紹介されている。2004年には、文化庁の「文化交流使」として一年間、パリに滞在。著書に、小説『葬送』『決壊』『ドーン』『空白を満たしなさい』『透明な迷宮』『マチネの終わりに』『ある男』など、エッセイ・対談集に『私とは何か「個人」から「分人」へ』『「生命力」の行方~変わりゆく世界と分人主義』『考える葦』『「カッコいい」とは何か』など。2019年に映画化された『マチネの終わりに』は、現在、累計60万部超のロングセラーに。『空白を満たしなさい』が原作の連続ドラマが2022年6月よりNHKにて放送。『ある男』を原作とする映画が2022年秋に公開、と映像化が続く。作品は国外でも高く評価され、長編英訳一作目となった『ある男』英訳『A MAN』に続き、『マチネの終わりに』英訳『At the End of the Matinee』も2021年4月刊行。「自由死」が合法化された近未来の日本を舞台に、最新技術を使い、生前そっくりの母を再生させた息子が「自由死」を望んだ母の<本心>を探ろうとする最新長篇『本心』は2021年に単行本刊行。ミステリー的な手法を使いながらも、「死の自己決定」「貧困」「社会の分断」といった、現代人がこれから直面する課題を浮き彫りにし、愛と幸福の真実を問いかける平野文学の到達点。2023年、構想20年の『三島由紀夫論』を遂に刊行。『仮面の告白』『金閣寺』『英霊の声』『豊饒の海』の4作品を精読し、文学者としての作品と天皇主義者としての行動を一元的に論じた。三島の思想と行動の謎を解く、令和の決定版三島論。
STAFF
Photo: Manabu Mizuta
Movie: Cork
Text: Junko Tamura
Editor: Yukiko Nagase,Kyoko Seko
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