『ジョージ・マイケル 栄光の輝きと心の闇』に映し出された「ラスト・クリスマス」の裏側

シンガー・ソングライター、プロデューサー
George Michael

街角がイルミネーションで煌めき、聞こえてくるのはロマンティックで心切なく温まる「ラスト・クリスマス」の萌ゆる歌声。このカリスマ的ポップスターに近い存在で、音楽業界の内側を熟知する、サイモン・ネイピア=ベル監督が手がけたドキュメンタリーが、その真の姿を浮かび上がらせている。神話化するのではなく、ひとりの人間としての心情に寄り添い、踏み込めなかった領域までカメラを進めていく。成功の裏側で、様々な葛藤、孤独、信念と向き合い、自らの様々な権利を守るために闘い抜いたジョージ・マイケルの表現者としての生き様へ迫っている。

LIFESTYLE Dec 24,2025
『ジョージ・マイケル 栄光の輝きと心の闇』に映し出された「ラスト・クリスマス」の裏側

クリスマスの日にこの世を去った、彼の人生と切り離せない象徴の曲

ジョージ・マイケルのことを知らなくても、彼がワム!時代に大ヒットさせた「Last Christmas」(1984)という楽曲は、誰でも一度は聞いたことがあるのでは?80年代らしい煌めきをまとったこの楽曲は軽快なクリスマスソングに思われがちだが、実際は前年のクリスマスの失恋の痛みを引きずりながら、次のクリスマスに希望を託すという、ほろ苦い心情を内包している。ソロになってからもセルフカヴァーを続けたこの曲の存在は、彼の人生と切り離せない象徴となった。そして皮肉なことに、彼は2016年、まさにクリスマスの日にこの世を去っている。

1981年8月にMTVが始まったが、この曲の1984年発表以来、一時は毎冬このMVが終日放映されていた

音楽業界の内側を見続けている“ワム!”のマネージャーが制作したドキュメンタリー

このドキュメンタリー映画『ジョージ・マイケル 栄光の輝きと心の闇』を語るうえで欠かせないのが、監督サイモン・ネイピア=ベルの存在だ。ソングライターやマネージメント業務などをしながら音楽業界の内側を長年見続けてきた彼は、ワム!のマネージメントを通してジョージ・マイケルのキャリア初期を間近で支えた人物だ。ジョージとは彼がソロになったタイミングで離れ、ベルはその後、音楽業界についての執筆やドキュメンタリー制作に活動の軸を移し、フランク・シナトラを題材にした作品などを発表してきた。しかも86歳の現在もアメリカで人気の音楽番組のプロデューサーを務めるなど、現役として活躍中だ。

本作においてネイピア=ベル監督は、ジョージ・マイケルを神話化するのではなく、彼の心情をより理解しようとする立場として存在している。ネイピア=ベル自身がゲイであることを公言している点も、本作のトーンに少なからず影響を与えているだろう。

ジョージ・マイケルとアンドリュー・リッジリーの画像
“ワム!”は、12歳からの友人というジョージ・マイケルとアンドリュー・リッジリーで結成された

ジョージ・マイケルに近すぎたからこそ捉えられた視点と踏み込めなかった領域

またこのドキュメンタリーの特徴のひとつ、各章に哲学者のジャン=ポール・サルトルや画家のジャクソン・ポロックなどの言葉をエピグラフとして使用している構成からは、単なる音楽ドキュメンタリーにとどまらない知的な視座が感じられる。スティーヴィー・ワンダーやサナンダ・マイトレイ(aka テレンス・トレント・ダービー)、ルーファス・ウェインライトらの証言が多く用いられているのも、ネイピア=ベルの人脈ゆえだが、同時に彼がジョージ・マイケルに近すぎたからこそ捉えられた視点と、踏み込めなかった領域の両方が浮かび上がってくる。なかでも、ジョージには2人の姉がいたこともあり、「ゲイだから男女の両方を理解していたと思う」といった一面や、映画の後半でセクシュアリティへのこだわりやアイデンティティの部分についてより深く描かれているのは、ゲイであるネイピア=ベル監督ならではの着眼だろう。

ポップスターという理想像を生きることの代償。自らの権利を守るために闘った

ドキュメンタリーは、スティーヴィー・ワンダーの回想シーンから始まる。次にギリシャ系キプロス人の父とユダヤ系の母との間に生まれた、本名ゲオルギオス・キリアコス・パナイオトウの少年時代に移る。コンプレックスの強い彼が、世界が愛するような理想像をジョージ・マイケルという名に託し、友人アンドリュー・リッジリーとともに“ワム!”を結成、そこからスターダムを駆け上がっていく過程が、当時を知る人々の証言によって描かれていく。

1984年にワム!のアルバム『Mke It Big』に収録されて発表されたが、実質ジョージ・マイケルのソロ曲として扱われた大ヒット曲

「父親から愛されたい、認められたい」という承認欲求を原動力に成功していく物語は、ポップスターの伝記としては決して珍しいものではない。しかし本作が際立っているのは、成功の裏側で彼が直面した契約や権利をめぐる問題、そしてそれが個人の人生に与えた影響を丁寧に追っている点だ。自らの権利を守るために闘ったジョージ・マイケルは、結果的に敗訴という現実を突きつけられるが、その選択が「自分のため」ではなく、業界全体の構造への問いであったことが強調されている。自分が書いた曲の権利を取り戻したことでは、2025年にテイラー・スウィフトが初期の楽曲の権利を買い戻したニュースが音楽業界を席巻したが、もしこの時にジョージが勝訴していたら、音楽ビジネスの在り方は大きく変わっていただろう。

カミングアウトは極めて重い決断。名声とプライバシーの間にある葛藤

イギリスのポップシーン、特にクラブ界隈では早くからセクシュアリティを公にしてきたアーティストは少なくない。とはいえ、デビュー当初から女性ファンから絶大な支持を集めたジョージ・マイケルにとって、カミングアウトは極めて重い決断だった。エルトン・ジョンは別格だが、楽曲では仄めかしていたものの、ニール・テナント(ペット・ショップ・ボーイズ)やボーイ・ジョージ(カルチャー・クラブ)が後からオープンにしたのも同様だ。ジョージ・マイケルの場合は、ある事件をきっかけに自身のセクシュアリティが公になると、彼は「ポップスター」であることよりも、「ソングライター」として評価されることを望むようになる。しかし名声とプライバシーの間にある葛藤は、自分自身に挑戦するという意味でも、カミングアウト後も終わることはなかった。

自分自身の信念を貫くという意思表明をした、アルバムタイトルにもなった曲「Faith」

映画は、プライヴェートから作曲やレコーディングへの徹底したこだわり、エイズ問題への向き合い方、慈善活動や反戦メッセージ、メディア王マードックとの闘いなど、ジョージ・マイケルが公の場で発してきた数々の姿勢を映し出す。作中で語られる「優れたポップソングは、聴く者それぞれの人生を映し出す」という証言は、彼の音楽の本質を言い当てているだろう。人々がスターに理想像を投影する一方で、ジョージ・マイケル自身は、表現者としての姿勢から逃れることなく生き続けた。

表現者として自身をオープンにして生きる

筆者は当時、“ワム!”としてもソロアーティストとしてもジョージ・マイケルの熱狂的な支持者ではなかったが、彼の楽曲にはクリエイティヴィティを感じていたし、なかでも「Soul Free」はクールなグルーヴに加え、フルートの入り方に当時のアシッドジャズ的な要素を感じ、歌詞を確かめる前からよく聴いていた。時を経て本作『ジョージ・マイケル 栄光の輝きと心の闇』を観ることで、ジョージ・マイケルという存在が、単なるポップアイコンではなく、名声の代償とともに自己を引き受けようとした表現者であったことが伝わってくる。そして、理解しきれなかった部分を残したまま終わるこの映画は、その未完性ゆえに、観る者の中で響き続けるものがある。セクシュアリティがどうであれ、自身をオープンにして生きることの意義を考えさせられる映画である。

『ジョージ・マイケル 栄光の輝きと心の闇』

12月26日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、kino cinema新宿ほか全国順次公開
監督:サイモン・ネイピア=ベル
出演:ジョージ・マイケル(アーカイブ)、アンドリュー・リッジリー(アーカイブ)、スティーヴィー・ワンダー、スティーヴン・フライ、サナンダ・マイトレイヤ、ルーファス・ウェインライトほか
2023年 / イギリス / 94分
配給:NEGA
A PROTOCOL MEDIA PRODUCTION ©2022

PROFILE
シンガー・ソングライター、プロデューサー George Michael
シンガー・ソングライター、プロデューサー
George Michael

ジョージ・マイケル/George Michael シンガー・ソングライター、プロデューサー、1963年6月25日英国ロンドン生まれ。2016年12月25日死去。1981年に「ワム!」としてデビューし、「Careless Whisper」、「Last Christmas」(ともに1984)等の大ヒットを飛ばし、1984年にはサイモン・ネイピア=ベルの尽力により欧米デュオとしては初の中国公演を成功させ、世界的に名を知らしめた。1987年のソロ転向後もアルバム『Faith』が世界的大ヒットとなり、グラミー賞受賞に加え、累計売上は1億1500万枚を超え、80年代から90年代に最も成功したアーティストの一人となった。一方で、1998年の公然わいせつ罪での逮捕と、それに伴うカミングアウトは世界的なニュースに。ソニー・ミュージックとの長期にわたる法廷闘争でも注目を集めた。2016年に53歳で急逝したが、没後、生前密かに行っていた多額の寄付活動が次々と公表され、その慈悲深い人柄が再び大きな話題となった。


音楽ジャーナリスト・アメリカ文学研究
伊藤なつみ

デヴィッド・ボウイ、坂本龍一からマドンナ、ビョーク、宇多田ヒカル、ロバート・グラスパーなど、取材アーティスト数は数え切れないほど。『ユリイカ』2023年5月号に掲載の論考「ヒップホップ・フェミニズムの変遷」など、現在は黒人女性のエンパワーメントについても研究中。

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