まるで実家のように還りたくなる青山「ふーみん」で、斉風瑞シェフが『キッチンから花束を』届け続けた50年。

料理家
ふーみん(斉風瑞)

平野レミ・和田誠夫妻、灘本唯人氏、五味太郎氏、三宅一生氏、金子功氏・・・70年代、新進気鋭のクリエイターたちが、まるで実家のように寄り添ったお店、青山「ふーみん」。ふーみんさんが『キッチンから花束を』届け続け、50年以上も愛され続ける、お腹も心も温まるお店の魅力をお届けします。

LIFESTYLE May 24,2024
まるで実家のように還りたくなる青山「ふーみん」で、斉風瑞シェフが『キッチンから花束を』届け続けた50年。

                                             

新進気鋭のクリエイター、華やかなファッショニスタたちが、実家のように還る場所「ふーみん」

今から40年近く前、新卒でアパレルメーカーに入社した私は毎朝、竹下通りから東郷神社を抜け、原宿の大きなビルに通っていた。当時、ファッション誌で特集も組まれたプレスという職に就き、意気揚々。その頃、会社のおしゃれな先輩方に連れられ、足を踏み入れたのが南青山の小原流会館の地下にある、ふーみんである。思い返しても懐かしい、納豆ごはんか納豆チャーハンかの悩ましい日々。

ところがDCブランドブームはあっという間に過ぎ去り、会社は敢え無く倒産。私は紆余曲折を経て、こうしてファッションとは無縁の仕事をしているわけだが、それでも当時のメンバーが集まる同窓会ともなれば、やはり会場はふーみんとなる。何十年も変わらず、ランチ時はいつも行列になる、ふーみん。そして、皆も相変わらず、納豆ごはん派と納豆チャーハン派で侃侃諤諤。

青山という土地柄、時代毎、流行の最先端の人たちが通い、愛し、その多くの栄枯盛衰を目撃したであろうふーみんは今も変わらぬ味で、人々を受け入れ続ける。

キラキラの’70年代、7.95坪のお店で、小さくて華奢な女の子が大きな中華鍋を振って極めたほっこり味“納豆チャーハン”

斉風瑞さんが納豆チャーハンを作る画像
嵐の櫻井翔さんは納豆チャーハンを「納豆にこんなにウマい食べ方があったのか!」と「1億3000万人のSHOWチャンネル」で絶賛。
ⒸEight Pictures

ふーみんママこと斉風瑞さんが神宮前に小さな中華風家庭料理のお店。ふーみんをオープンしたのは1971年。なんと50年以上、愛され続けていることになる。

『キッチンから花束を』はそんなふーみんとふーみんママを3年半に渡り、追い続けたドキュメンタリー。見ているだけで、鼻と舌、胃が納豆チャーハンを欲し、実のところ、原稿を書いているどころではない。

気を取り直して、ふーみんママが最初のお店を開いたのは神宮前。7.95坪の小さなお店は現在のふーみんの調理場より狭かったとか。私たちの時代は既に青山だったので、そんな歴史があったとはとちょっとびっくりである。料理を始める前、ふーみんママは25歳まで美容師をしていたそうだ。そういえば、ふーみんも、ふーみんママのことも知らないことだらけ。苦労もあったろう、ふーみんママなのに、過去を振り返る時も実に楽しそう。「ムーミンさんって呼ばれたこともある」とジョークを飛ばす。ふーみんの料理と同じように、心まで温かくなる、素敵な人柄の持ち主である。

平野レミ・和田誠夫妻や灘本唯人さん、五味太郎さんたちと試行錯誤したクリエイティブの結晶

当初から通っていたのが平野レミ・和田誠夫妻、三宅一生、金子功……ファッション界のみならず、美術・芸術家、すごいメンバーが揃っていたようだ。常連さん曰く、「ママ自体もクリエイター」。ふーみんでしか味わえない独自のメニューだからこそ、多くの人が引き寄せられた。

ちなみに映画で知ったのだが、名物料理の一つ“ねぎワンタン”はイラストレーターで映画監督、食通として知られる和田誠氏が考案したレシピ。レミさんが思い入れたっぷりに語っているがもはや多くの人にとっても忘れられない味となっている。

さらに、ふーみんのロゴを手掛けたのは日本のイラストレーションを牽引した灘本唯人氏で、にんにくの絵を描いたのは「きんぎょが にげた」の絵本作家、五味太郎さん!

骨董通りにあり、おしゃれな人が通い、有名人の愛する店と聞くと、敷居が高いと誤解されるかもしれない。ところが、青山なんて行ったこともない人でもふーみんの味は知っているかもしれないのだ。

自宅でも食べてほしい! どこの家庭にもある材料でサッと作れる愛され味の最高峰

納豆チャーハンの画像
「青山ふーみんの和食材でつくる絶品台湾料理」より

私事で恐縮だが、実家に帰ったら、母が最近、ハマっているという料理を振る舞ってくれたことがある。ビールに合うと父が気に入って、毎日のように作っているらしい。一口、食べて「!」となった。ふーみんの納豆ごはんのアタマだった。斉風瑞さんはNHKの「きょうの料理」といったテレビ番組や雑誌、書籍で、レシピを普通に公開しているのだ。誰でも気軽に作れて、それでいて食べたら、絶対にふーみんの味とわかる。うちの両親は青山のふーみんに足を踏み入れたことはなかったはずだけれど、知らぬうちにふーみんの味の虜になっていたのである。そんな風にお店のことは知らなくても、きっと多くの人がふーみんの味に魅了されているのだと思う。

レシピを公開って、ずいぶん豪胆なことをするなと思ったけれど、ふーみんママは自分の代でお店を閉めるつもりだったらしい。台湾人の両親のもと、四姉妹の長女に生まれ、日本で育った斉風瑞さん。現在は次女の瀧澤麗香さんの息子さんである甥っ子の一喜さんがふーみんの代表を務めている。

厨房で大男(ふーみんママが小柄なのでそう見えるだけなのかもしれないが)に混じり、鍋を振っていた、ふーみんママの姿はもう見られない。ちなみにあんなに華奢なのに腕だけはアスリートのような筋肉。それぐらい、あの重い鉄の中華鍋を上げ下げすることは重労働なのだ。

ふーみんは愛情スパイスを創作して、新しく咲きほころぶ花束を贈り続ける

瀧澤 一喜さんと斉風瑞さんの画像
子どもの頃から、知らぬ間に斉風瑞さんのお手伝いをしていた現在の「ふーみん」代表、瀧澤 一喜さん(右)。3年間、斉風瑞さんと同居し、毎日、一緒に帰宅しては自宅で打ち合わせしていた。
ⒸEight Pictures

とはいえ、ママがいなくて寂しいといったセンチメンタルな常連客たちの心情を尻目に、当のふーみんママはとっくに新しい段階にいた。現在は溝の口で、1日1組だけのダイニング「斉」を営んでいる。

何気ない中に凄さが潜んでいる、ふーみんとふーみんママ、そして、ふーみんの味。

そもそも家庭料理の店、ふーみんは、「私たちだけでこんな美味しいご飯食べるのもったいないわね」とふーみんママの友人が言った、何気ない一言から始まった。

見ず知らずの友人の方には感謝の気持ちでいっぱいだ。その言葉通り、今では数えきれない多くの人々が愛するようになった、ふーみんの味は今日もまた、誰かの思い出を彩っている。


キッチンから花束を

5月31日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町ほかにて全国順次公開

公式サイト:negiwantan.com

青山ふーみんの和食材でつくる絶品台湾料理
小学館
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PROFILE
料理家 ふーみん(斉風瑞)
料理家
ふーみん(斉風瑞)

さいふうみ/斎風瑞 料理家 中華風家庭料理のお店「ふーみん」の創業者。昭和21年、台湾人の両親のもと東京に生まれる。高校卒業後、美容師として8年、働き、昭和46年、25歳の時、東京・神宮前に中華風家庭料理『ふーみん』を開店。昭和61年、現在の南青山に移転。70 歳でふーみんの厨房を勇退。その後は神奈川県内の少人数制サロンレストラン、ダイニング「斉」で1日1組だけのために料理を振る舞う。不定期だが、『アトリエシュシュ』の若手シェフ・野村裕亮さんと組んで、料理教室を開いている。「青山ふーみんの和食材でつくる絶品台湾料理」「ふーみんさんの台湾50年レシピ」


MOVIE WRITER
髙山亜紀

フリーライター。現在は、ELLE digital、花人日和、JBPPRESSにて映画レビュー、映画コラムを連載中。単館からシネコン系まで幅広いジャンルの映画、日本、アジアのドラマをカバー。別名「日本橋の母」。

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