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難解さで知られる安部公房の小説『箱男』。ダンボール箱をかぶり続けるという特殊な設定、目まぐるしく変わる場面、個性豊かな登場人物が入り乱れる幻想的な世界。安部公房生誕100周年の今年、永瀬正敏、浅野忠信、佐藤浩市ら豪華俳優陣共演による映画も公開予定。作家・平野啓一郎が、謎に満ちた作者の意図を読み解きます。
~あらすじ~
社会とのつながりを絶ち、どこにも帰属することなく、段ボール箱をかぶって、街の中で生きていくことを選ぶ「箱男」。一人の箱男である「ぼく」は、あるとき箱を買いたいと看護師の女性から持ちかけられる。箱を破棄することに抵抗を抱き、依頼を断るために彼女が勤める病院に赴くと、贋の箱男になっている医者の存在を知る。ぼくと贋箱男、看護師との奇妙な関係の進行と同時に、他の箱男や少年のエピソードが差し込まれ、読者に謎と驚きを誘う。
平野啓一郎(以下、平野):安部公房の『箱男』は非常に面白い作品ですが、明確な答えに読者がたどり着けないように書かれているため、人それぞれ異なる解釈が出てきたのではないでしょうか。この読み方が正しいというのはありませんので、まずは内容を整理して、皆さんが自由に読んで楽しめるような道筋をつけていけたらと思います。
──平野さんが安部公房作品を読み始めたのはいつ頃でしたか?
平野:最初に読んだのは大学時代です。まず『砂の女』を読み、『壁』『箱男』『燃えつきた地図』と読んでいきました。その後、小説家としてアイデンティティを主題とした作品を書くなかで、安部公房作品を思い起こし、改めて読みました。
僕は小説家として作品を書くなかで、これが「本当の私」だと1つに絞る”本質主義”に対抗する、”分人主義”を提唱するようになりました。対人関係によって異なる様々な自分すべてが「本当の自分」であり、唯一無二の本質は存在しないという考え方です。
『箱男』という作品で、安部公房は「登録」ということに非常にこだわっています。社会が市民を管理するには、1つの固有名詞と、1つのアイデンティティに人間を紐付けて、公文書に登録するのが最も効率的です。管理社会は市民をいかに一元的に統合していくかという圧力をかけ、それに抵抗を感じる私たちは、一なる自分へ固定された状態から、いろいろな場所でいろいろな自分を生きていく方向に、アイデンティティを自由に拡散させようとする。管理と自由、これは一種のイタチごっこのようなものだと思います。
それでは現代において、何によってアイデンティティの統合を担保するのかとなったとき、一番わかりやすいのはやはり「顔」です。空港などでも機械(機器?)認証が導入されて、瞬時に判別されるようになってきました。そうなると、分人主義の観点を導入しても、顔によってすべてが統合されてしまいます。
安部公房の作品でも、「顔」というものが非常に大きな役割を果たしていて、『箱男』もそうですが、『他人の顔』という作品では、自分の顔を失って他人の顔をつければ他人になれるのか、という主題が実験的に書かれています。
見ることには愛があるが、見られることには憎悪がある。見られる痛みに耐えようとして、人は歯をむくのだ。しかし誰もが見るだけの人間になるわけにはいかない。見られた者が見返せば、こんどは見ていた者が、見られる側にまわってしまうのだ。
『箱男』(新潮文庫)P.36
平野:上記の部分のように、『箱男』のもうひとつの重要テーマは、”見る、見られる”関係です。他者から見られることなく、内側からのぞき見る機能が箱に期待されています。
この主題は、サルトルの影響も大きいと思います。『存在と無』でサルトルは、見ることは一種の暴力性だと書いています。資本主義が発展した社会では、人間の価値は他者からの社会的な評価の中で浮き沈みするようになり、他者にどのように認識されるかが死活問題になります。
見ることは、ある認識のフレームでその存在を規定してしまうことであり、そこにある種の権力性が備わります。見る側の方が強く、見られる側は弱い立場に立たされるんです。
『箱男』の主人公は、ダンボール箱を頭からかぶることで、他者からの勝手な眼差しを浴びないで済むようになります。自分は見られないという安全な立場で、相手を一方的に見ることができるので、他者からは「あいつはこういう人間なんだ」と評価されないでいいわけです。
──コロナ禍が落ち着いても変わらずマスクをつけ続ける人が多いと聞きますが、この話に通じるようにも思いました。
平野:顔を隠すことで気が楽になるというのは、実際にありますよね。僕自身、コロナ禍でマスクを着けるようになってから、服装をあまり気にせず地下鉄に乗るようになりました。顔を隠すと自分のアイデンティティと結び付けられずに済むので、どうでもよくなっていくんですよね。外見を匿名化することで内的な自由を確保するという意味では、「箱男」に通じる話ですね。
──ところどころ難解なところもあり、どう解釈すればよいのか迷うところも多い作品ですが、読解の見晴らしを良くするコツはありますか?
平野:箱男は途中から意図的に話をいろいろ複雑にしていて、わからなくなっていくこと自体を自己目的的に書いていますよね。途中に、それまでの内容と関係がないような話が差し込まれたみたいな書き方は、安部公房作品の中でも特に前衛的な書き方だと思います。
この作品を読むにあたっては、箱の「機能」に着目してみることが有効ではないかと思います。
「箱とは何ですか?」と問われると答えづらいですが、「箱にどういう機能がありますか?」と聞かれると答えやすい。例えば、バラバラのものをひとまとめにしておく機能がまず箱にはあります。また、中身をプロテクトする機能もあります。ある存在を隠し不可視化するという機能もあり、匿名化することができます。
このように整理して、作品の各エピソードが箱の何の機能を表現しているのか注目すると、見晴らしがよくなるのではないでしょうか。
僕自身は、箱の「空っぽ性」みたいなものがこの作品を読み解く鍵になるのではないかと思っています。人間は箱を見ると、「中に何かが入っているはずだ」と思ってしまいます。しかし必ずしも中身があるとは限らないですよね。
同じように、人間には普遍の本質のようなアイデンティティがあるのか? 実は箱の外観、つまり社会的に認識されてるようなレベルがあるだけで、中身に本質的な何かがあるわけではないんじゃないか?というようなことも考えながら読むこともできます。
こういう作品は何が正しいというのもないような作品ですから、ご自身の自由な読み方をぜひ楽しんでもらえればと思います。
この続きは、平野啓一郎さんと「文学の森」でもっと語り合ってみませんか?
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安部公房の『箱男』を取り上げる第2回目は、こちらから
1975年愛知県・蒲郡市生まれ。北九州市出身。京都大学法学部卒。1999年在学中に文芸誌「新潮」に投稿した『日蝕』により第120回芥川賞を受賞。40万部のベストセラーとなる。以後、一作ごとに変化する多彩なスタイルで、数々の作品を発表し、各国で翻訳紹介されている。2004年には、文化庁の「文化交流使」として一年間、パリに滞在。著書に、小説『葬送』『決壊』『ドーン』『空白を満たしなさい』『透明な迷宮』『マチネの終わりに』『ある男』など、エッセイ・対談集に『私とは何か「個人」から「分人」へ』『「生命力」の行方~変わりゆく世界と分人主義』『考える葦』『「カッコいい」とは何か』など。2019年に映画化された『マチネの終わりに』は、現在、累計60万部超のロングセラーに。『空白を満たしなさい』が原作の連続ドラマが2022年6月よりNHKにて放送。『ある男』を原作とする映画が2022年秋に公開、と映像化が続く。作品は国外でも高く評価され、長編英訳一作目となった『ある男』英訳『A MAN』に続き、『マチネの終わりに』英訳『At the End of the Matinee』も2021年4月刊行。「自由死」が合法化された近未来の日本を舞台に、最新技術を使い、生前そっくりの母を再生させた息子が「自由死」を望んだ母の<本心>を探ろうとする最新長篇『本心』は2021年に単行本刊行。ミステリー的な手法を使いながらも、「死の自己決定」「貧困」「社会の分断」といった、現代人がこれから直面する課題を浮き彫りにし、愛と幸福の真実を問いかける平野文学の到達点。2023年、構想20年の『三島由紀夫論』を遂に刊行。『仮面の告白』『金閣寺』『英霊の声』『豊饒の海』の4作品を精読し、文学者としての作品と天皇主義者としての行動を一元的に論じた。三島の思想と行動の謎を解く、令和の決定版三島論。
STAFF
Photo: Manabu Mizuta
Movie: Cork
Text: Jun Mizukami
Editor: Yukiko Nagase,Kyoko Seko
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