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小説は、いかに着想して形にしていくのか?モチーフや人称はどう決めるのか? 作家ならではの創作法を、平野啓一郎が昨年12月に発表した最新短編『富士山』を題材に解説します。
~あらすじ~
婚活アプリで知り合った加奈と津山は旅行のため東海道新幹線のこだまに乗り、東京から浜松に向かっていた。40歳を前にしていた加奈は、彼を結婚相手として見極めようとしている時期だった。途中停車の駅で、彼女は反対側のこだまに乗る少女のSOSサインに気づく。咄嗟に助けに乗り出す加奈に対して、躊躇して席を立たない津山。その行動の違いが二人を引き裂くが、後日、津山の思わぬ面を加奈はニュースで知る。
生涯のパートナーか否か。ひとつの出来事や、ある瞬間に、人間性は決定づけられてしまうのか。
——今回は「新潮」新年号に掲載された短篇『富士山』を、作者の平野さん自ら語っていただけるとのことで、「文学の森」の皆さんからたくさんのご質問をいただきました。
平野啓一郎(以下、平野):作者が自作について語るのは、読者からすると興ざめではないかという見方もあります。ただ、僕は十代の時に三島由紀夫から影響を受けましたが、三島は自作解説を非常によくやった作家でした。僕は読者として、それに興ざめするどころか、面白かったんです。それは他の作家にない三島の面白さで、大江健三郎さんもそうですね。自分の作品について作家がいくら語っても、結局のところ作品そのものが持つ複雑さは語り尽くせないところにあり、気にせずに喋ってもよいのではと考えています。今回は創作過程のこともお話しすると思いますが、それも含め楽しんでいただければと思います。
なんとなく気になっていた断片が物語になる
——まずこの物語の着想についてお聞かせください。
平野:僕は関西出張などで東海道新幹線に乗る機会が多いんです。小説家としてデビューした頃は京都に住んでいたので東京へ通うときにも利用していました。でもつい最近になって、新幹線の座席が、下り進行方向の右の窓側の席から埋まっていくことに気がついたんです。しかもその理由が「富士山が見えるからだ」と知って、虚を突かれた気がしたんです。
『富士山』の女性主人公・加奈はキャリア系の女性で、関西出張などを多数こなしていそうなのに、40歳になるまで富士山が見える窓側から席が埋まっていくことを知らないという設定です。この原稿を発表前に周りに見せたとき、「そんなことも知らないなんて不自然だ」と指摘があったんですが、それはまさに僕のことなんですよ(笑)。
浮世絵の『富嶽百景』にもあるように、東海道を歩きながら富士山を仰ぐというのは、江戸時代から数百年続く伝統でもあります。今まで気がつかなかったけれど、新幹線から富士山を見たがるというのは、歴史の厚みがあることなんだと思い直し始めました。
平野:主人公の加奈と津山は婚活アプリで知り合う設定にしています。これは、僕が訪れたカフェレストランで、アプリで出会ったらしき男女を見かけることが度重なり、マッチングアプリの普及ぶりに驚いていたんです。周囲に話を聞くと、今の若い人は普通に恋人や友人を見つけることに活用していることを知りました。僕と年代の近い女性で実際、婚活アプリを使っている人もいて、取材もさせてもらいました。
最近のアプリはアルゴリズムでその人に相性の良い人を割り出してくれる仕組みになっているので、普通の出会うよりも合理的かもしれない。ですから、アプリを否定はしません。ただ、誰かを好きになるということは、物理的に近くにいたり、何かエピソードを共有したということが理由になることが多い。一方、アプリはエピソードを何も共有しないまま相手の属性から入ります。ふたつの恋愛の違いに何があるのか、というのが描きたかったことのひとつなんです。
——加奈は新幹線での停車時に、逆側の新幹線に乗る少女と目が合って、SOSのサインを出されます。その出来事が物語の重要な起点になりますが、どのように思いついたのでしょうか。
平野:コロナの時期に、カナダの団体が提唱しているSOSのサイン(親指を4本の指で握るSignal for Help)が、ネットで紹介されていました。こういうものが普及するのは素晴らしいと思う一方、例えば電車内でこのサインに気付いたら自分はどれくらい役立てるだろうか、駅員は対処してくれるのか、警察は動いてくれるのか、というような思索をしたことがあったんです。小説のキーとなるこれらの考えと、新幹線の通過待ちや富士山の風景のイメージが結びついて、物語として形になっていきました。
物語が出来上がるときに高揚感はあるのか?
——いろんな断片が結びついて物語になるときは、どのような高揚感がありますか?
平野:実は、「来た!」というような劇的な瞬間ではないんです。それまで長いあいだ関心を持ち続けていたことの断片が、じわじわとまとまって形成されて、ひとつの物語になっていく。ただ、いざ形になってみると、その断片が物語になる必然性を持って自分の中で待ち構えていたような気もしてくるんです。
小説のストーリーというのは、一から作ろうと思って頭で考えて作ると、わざとらしくなってしまいがちです。なんとなく長いあいだ気になっていることというのは、それだけ自分にとって意味のあることですから、それを組み合わせていく方が実のある物語になると思います。
一人称か三人称かに試行錯誤も
——この物語は三人称で書かれていますが、一人称で書いたとしても余韻の残る小説になったかと思います。三人称で書くことにされた大きな理由は何でしょうか。
平野:実は、それも試行錯誤があったんです。この小説は初め三人称で書き上げたんですが、なんとなくしっくりこなくて、一人称にすべて書き直すという試みをしました。ちょうどその頃、アニー・エルノーがノーベル文学賞を獲った時期で、私小説の『シンプルな情熱』を読んでいたので、若干影響を受けたような文体で一度全部書き直してみたんです。 ただ、それだと主人公の考えが明確に表現されすぎてしまって、うまくいきませんでした。
——確かにこの小説は、主人公の考えが明確じゃないからこそ、読者によって様々な解釈ができる物語になっているかもしれませんね。
平野:主人公がうまく言葉にできない繊細な心の揺らぎを、本人にはっきり語らせるよりも、作者が見守りつつ、 こういうことだったんだろう、というような感じで、彼女の状況を書いてあげた方がいいと思い直しました。
ひとつの行動で人の本質を決めることの危うさ
——少女が出したSOSサインに対して、主人公の加奈はすぐに席を立ちますが、隣の津山は席を立ちません。その行動の違いが二人を引き裂くことになります。
平野:僕は基本的に反本質主義者です。たったひとつの出来事を見て「この人はこういう人間だ」と断定することはできないんじゃないかということが『富士山』のテーマになっています。
何かの瞬間、ある行動により、そういう人間なんだとみなされ、自分の全てがジャッジされるようなことに不安を覚えますし、自分が誰かに対してそうしてしまう恐れもあります。
でも、短い期間で生涯のパートナーを見定めたいと思っているようなときには、どうしても限られた情報でしか相手を判断できないこともある。そのジレンマを描くことができればと思い、書き進めていきました。
この続きは、平野啓一郎さんと「文学の森」でもっと語り合ってみませんか?
「平野啓一郎の文学の森」は、平野啓一郎をナビゲーターとして、古今東西の世界文学の森を読み歩く文学サークルです。3か月毎に定めたテーマ作を、月に一度のライブ配信で読み解く、小説家による小説解説!
1月〜2月のテーマは、アンナ・ツィマ署著の『シブヤで目覚めて』。3月は平野啓一郎の最新短編『富士山』でした。
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次回は、大江健三郎著『セヴンティーン』『不意の唖』です。
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1975年愛知県・蒲郡市生まれ。北九州市出身。京都大学法学部卒。1999年在学中に文芸誌「新潮」に投稿した『日蝕』により第120回芥川賞を受賞。40万部のベストセラーとなる。以後、一作ごとに変化する多彩なスタイルで、数々の作品を発表し、各国で翻訳紹介されている。2004年には、文化庁の「文化交流使」として一年間、パリに滞在。著書に、小説『葬送』『決壊』『ドーン』『空白を満たしなさい』『透明な迷宮』『マチネの終わりに』『ある男』など、エッセイ・対談集に『私とは何か「個人」から「分人」へ』『「生命力」の行方~変わりゆく世界と分人主義』『考える葦』『「カッコいい」とは何か』など。2019年に映画化された『マチネの終わりに』は、現在、累計60万部超のロングセラーに。『空白を満たしなさい』が原作の連続ドラマが2022年6月よりNHKにて放送。『ある男』を原作とする映画が2022年秋に公開、と映像化が続く。作品は国外でも高く評価され、長編英訳一作目となった『ある男』英訳『A MAN』に続き、『マチネの終わりに』英訳『At the End of the Matinee』も2021年4月刊行。「自由死」が合法化された近未来の日本を舞台に、最新技術を使い、生前そっくりの母を再生させた息子が「自由死」を望んだ母の<本心>を探ろうとする最新長篇『本心』は2021年に単行本刊行。ミステリー的な手法を使いながらも、「死の自己決定」「貧困」「社会の分断」といった、現代人がこれから直面する課題を浮き彫りにし、愛と幸福の真実を問いかける平野文学の到達点。2023年、構想20年の『三島由紀夫論』を遂に刊行。『仮面の告白』『金閣寺』『英霊の声』『豊饒の海』の4作品を精読し、文学者としての作品と天皇主義者としての行動を一元的に論じた。三島の思想と行動の謎を解く、令和の決定版三島論。
STAFF
Photo: Manabu Mizuta
Movie: Cork
Text: Junko Tamura
Editor: Yukiko Nagase,Kyoko Seko
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